(その28)面と向かって話をする
往年のプロレスラーの坂口征二さんの息子さんでタレントの坂口なんとかさんが言っていました。「英語は単純なものだから、それをジェスチャーや表情を豊かにして補ってやるんです」。なるほどと思いました。トランプさんを見ているとよく判ります。誰かを攻撃する時は特にそうで、実に憎たらしい顔で、大声で吠えまくります。演説の中身は中学生レベルなどと揶揄する人もいますが、英語はとてもシンプルだし、文法もかっちりしていますから、誰がしゃべっても構文は中学生レベルです。例えば大統領演説で有名なリンカーンのあれも、of the people, by the people, for the peopleと実に単純なものです。修辞学などと、言葉の使い方を研究する学問が発達するのもそのためでしょう。
一方、彼らから見ると日本人は無表情で何を考えているか分からないと言われますが、日本語では同じことを言うのにも何通りもあってそれを使い分けるようにしますから、あまり表情やジェスチャーを必要としません。相手にきついことを言うのに、わざとぼかしたりあいまいにしたりするテクニックすら使います。そんな日本人が英語をしゃべると表情も単調でジェスチャーもないから「何を考えているか分からない」と嫌がられるのでしょうが、急にできるものでもありません。日本語の場合はもしも相手の表情が変わったりしたら、すぐさま言い回しを変えたり、語尾をとり変えて否定するつもりだったのを肯定にしたりするような離れ技まであります。もちろんこんなことをしたら何を言いたかったのかわからなくなってしまいます。
日本語にしても英語にしても面と向かって話し合うことが大事です。英語は単純な分だけ微妙なニュアンスは苦手ですが、その代わり相手に誤解されることはまずありません。言いたいことはストレートに伝わります。日本語はそうはいきません。面と向かって話していれば相手の表情で誤解されたかどうかわかりますから修正が可能です。
動物は面と向かうことができません。それは敵対行為になってしまいます。サル山のサルをじっと見ないでくださいと言うのはそのためです。人間は言葉を持ったことで面と向かうことができるようになりました。まず挨拶をするのも、敵対するつもりはないことの意思表示です。ネットの発達で便利になりましたが、面と向かって話し合うことが少なくなっているように思います。
この数年、おいしいダシを取ることに凝っている。駅の近くの商店街の立ち食いうどんがおいしかったことがきっかけだったと思う。いりこ、昆布、干し椎茸、かつ節、あごダシ、既製の白だしなどなど。ダシの取り方を工夫し、組み合わせもいろいろ試してみた。昼食時には、その工夫したダシの「汁もの」料理を職場で食べてもらったりすることもある。
そんなある日、同僚の「つうしん編集長」のS君が「昔の日本人はダシを取らずに調理していた」という話を何かの講演会で聞いたそうだ。最近、僕はそれがずっと気になっている。確かに、素材の旨みを引き出すのは、調理の仕方と塩加減である。新鮮で良い食材なら、そのまま食べてもおいしいわけで、火加減と塩加減に注意すれば絶対おいしいものができるはず…理論的には。
しかし、何でも我流でいい加減なことばかりやってきて還暦を過ぎた自分が、そんな野望を抱くのは、ちょっと厚かましいのかも。でも、時間ができたらちゃんと料理を習って、もっとおいしいものを作ってみたいと考える今日この頃です。
(事務局・田中昭彦)
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