歴史的転換点に立って内田 樹(思想家・武道家)
■私たちは歴史からほとんど何も学ばない
長く生きてきてわかったことが二つある。
一つは、世の中が実にはげしく変化するものでありながら、その変化の道筋を正しく予測した人が過去にほとんどいなかったということ。未来予測がけっこう当たるのは平時だけで、地殻変動的な大変化が起きる非常時には誰にも未来のことなんか予測できない。
もう一つわかったことは、世の中がどれほど激しく変化しても、人々は結局そこからあまり学ばないということである。どれほど世の中が変わっても、多くの人はその変化に適応するだけでいっぱいいっぱいで、変化の原因についてもその意味についても考えない。
カール・マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の冒頭に次のような有名な言葉を記した。
「世界史的な事件や人物は二度現われる。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみすぼらしい笑劇として」
でも、これでは言葉が足りないと思う。似たような破局は実際には三度も四度も繰り返すからである。二度目三度目までは「笑劇」で済ませられるが、四度、五度と続くと、さすがに笑ってもいられまい。
私たちは歴史からほとんど何も学ばないと書いた通りである。私たちは同じ愚行を繰り返す。それも、そのつど「新しいこと」をしているつもりで同じ愚行を繰り返す。マルクスはこう続けた。「いまだになかったものを創り出すことに専念しているように見える時に、過去の亡霊たちを呼び出して助けを求め、その名前や闘いのスローガンや衣装を借用し、借りものの言葉で新しい世界史の場面を演じるのである」。その通りである。
■20世紀の悲劇を「再演」する世界
2017年、私たちは20世紀が味わった悲劇の何度目かの「再演」の時を迎えている。安倍政権は改憲を通じての独裁制の樹立と「次の戦争」を準備している。独裁と戦争、それは成長戦略の手札が尽きて、最後は戦時経済とカジノ経済くらいしか手立てを思いつかないという政治的無能と、偏狭な排外主義を煽り立てる以外に砂粒化・原子化した国民たちを集団的に再統合する手立てを思いつかないという政治的想像力の欠如が導いた結論である。しかし、この手垢のついた「借りものの言葉」に日本国民が高い支持率を与えている。政治的無能は政府の責任だが、無能な政府を支持しているのは国民の責任である。
日本国民は、超高齢化と急激な人口減を迎える日本には「経済成長など不可能である」という事実と、排外主義は人々をいっそう深く分断させ、憎しみ合わせるだけで「いかなる国民的統合も果し得ない」という現実性の高い未来予測から必死で眼を逸らそうとしている。
「未来を見たくない」という国民の必死の願いに応える政治勢力が高い支持を得ているのは日本だけではない。アメリカがそうだ。Make America great again というトランプのスローガンは「栄光は過去にあり、未来にはない(だから過去に戻ろう)」という後ろ向きな心情がアメリカを深く蝕んでいることを教えてくれる。英国のEU離脱もそうだ。英国はチャーチル以来、EUのメンバーで「いるような、いないような」曖昧なスタンスを利してEUを利用しつつ、メンバーであることの責務を回避してきた。離脱はそのような巧妙な政治的技術を駆使できる人材がもう英国にはいなくなったということである。英米に比べると、ロシアと中国はまだしも安定して見えるが、それは彼らがレーニンや毛沢東の宏大(かつ妄想的な)世界戦略を放棄し、ロマノフ王朝、清朝時代の地域覇権国家に慎ましく回帰したからである。両国とも周辺の隣国に「強く出る」くらいの実力はあるが、「世界はかくあるべし」というような指南力のあるメッセージを国際社会に発信する力はもうない。「自分さえよれけば、それでいい」という本音を口に出してしまった国は、どれほど軍事的経済的に強国であってももう国際社会のリーダーシップを執ることはできない。
その中にあって今なお発信力を保持しているのはドイツである。だが、難民問題という「爆弾」を抱えている。ドイツがこの処理を誤って排外主義に落ち込んだら、もうヨーロッパが世界の「先進国モデル」になることはなくなるだろう。中近東、西アジア、アフリカはまったく先が見えないが、「帝国」サイズの地域覇権国家に回収されて相対的な安定状態に達するというシナリオはありうる。
■取るべき道は自力で考える
世界はまた「近代以前」のかたちに戻るかもしれない。アメリカ帝国、ロシア帝国、中華帝国、神聖ローマ帝国、ムガール帝国、オスマン帝国……などいくつかの地域覇権国家群に分割されるかもしれない(サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で論じたように)。
そういう先の見えない世界史的転換点に、日本人はどういう道を選べばよいのか。私に答えがあるわけではない。わかっているのは「私は答えを知っている」という人間は信用できないということだけである。世界史上はじめての事態に私たちは遭遇している。こういう状況を無事に切り抜けたことがありますという成功事例を語れる人は世界のどこにもいない。
大方の日本人は「アメリカについてゆけば、どれほど収奪されても、愚弄されても、まさか命までは取られまい」という見通しに立って日米同盟基軸にすがりつくつもりでいると思う。アメリカの属国として、世界の二流国(あるいは三流国)として、地べたを這ってでも生き抜きたいというのであれば、それはそれで一つの見識だと思う。それでは厭だという人は日本の取るべき道について自力で考えるしかない。
うちだ・たつる 1950年東京都生まれ。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。凱風館館長。神戸女学院大学名誉教授。著書に『街場の共同体論』、『憲法の「空語」を充たすために』、『街場の戦争論』、『沈む日本を愛せますか?』、『内田樹の大市民講座』、『最終講義 生き延びるための七講』、『困難な成熟』、『街場の文体論』など多数。
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