タイ無農薬ホムトンバナナの産地を訪問して
話せなくても想いは同じ
よつ葉の無農薬バナナはタイのホムトン種バナナで、主にタイ南部の生産地から届きます。お互いの顔が見える関係性を重視し、より深めていくために、タイのバナナ農家とよつ葉と交互に訪問しあい、交流することを続けています。今年は3月に私たちよつ葉の方がタイへ出かけてバナナ農家と交流してきました。
7カ所見て回ったバナナ畑は、それぞれ農家の個性が出ていて、違いがよく分かりました。ご両親と奥さんと4人でバナナを育てるエイさんは真面目で人柄の良さがにじみ出ています。山の斜面に整然と植えられた3000本のバナナは風がきついため、バナナの葉が切れてしまい枯れていくのですが、枯れた葉っぱもちゃんと取り除いてあり、下草もきれいにして手入れの行き届いた畑でした。一番大変なことはやはり草刈りで、中には除草剤をまいて、さっさと国内に出荷してしまう人もいるとか。
断崖絶壁の山に挟まれた畑では、突風は吹かないものの日当たりが悪くなります。そのためなのかバナナの房も変形が多くて、原因を尋ねられた北海道の農家の中西さんは、農家魂に火が付き、一本のバナナの根元を掘り起こして根の張り具合を確認し、土の中のミミズの多さに驚き、さらに土を持って帰って土壌分析したいと(なぜか国内線の空港で没収となりましたが…)。バナナは、葉っぱがなくなると生長が止まるので、大体8枚残すのがベスト。中西さんの野菜づくりも葉を8枚残して養分を実に蓄えさせることが基本だそうです。でもこの農家は、葉を切ったら大きくなると信じていて、葉が一枚もなくバナナの房だけ木に残っている状態。中西さんのアドバイスを聞いて変わってくれればいいのですが。
暖かい手料理で迎えてもらった夕食交流会では、言葉は通じないけど笑顔と身ぶり手ぶりで交流しました。以前日本に来てくれて、お会いしたことのある生産者の皆さんが元気にバナナづくりを続けておられたのが嬉しかったです。
個々の生産者が自分の小さな圃場で生産しており、家族で協力して育てている姿に感動しました。バナナ栽培といってもさまざまなつくり方をしていて、無農薬で育てるため個々の生産者が栽培方法を工夫しているのが伝わってきました。
「無農薬で栽培してください」とお願いはするものの、定植の仕方や苗の剪定、葉の処理、草刈り、水の管理などは生産者に任せていること。「バナナを無理しないでつくってもらいたい」と語るのはタイの無農薬バナナを取りまとめて輸出入する会社の代表ペイソーさん。その想いはよつ葉の地場野菜の取り組みと同じだと思いました。今回タイを訪れて、より身近に感じるバナナになりました。
(よつば農産・笹川浩子)
よつ葉会員と生産農家による討論・交流会に参加
地場農家を支えていくには
(7面もお読みください)
よつ葉の会員と生産者のアグロス胡麻郷・橋本昭さん、若手新規就農者の吉村次郎さん、やさか共同農場の佐藤隆さん、そして配達を行う配送センターの職員での討論会が行われました。
まず初めに、よつ葉の地場野菜の取り組みについて橋本さんからお話を聞かせていただきました。よつば農産の設立は2001年、それ以前から地区ごとにいろんな組合が存在し地場野菜的なものは行われていたそうです。北摂協同農場、高槻地場農産組合、別院協同農場、アグロス胡麻郷の4地区がバラバラでは、互いに競争する形になってしまい、うまくやっていけないことを懸念し、「つなぎの会」としてまとまったそうです。「地場と旬」をコンセプトに地場野菜作りに取り組み、自分たちの作る農産物の品目や量をよつ葉が取り扱いやすいように形を変えていったように感じました。
次に若手新規就農者の吉村さんは、ご自身が農業を始めるきっかけや、新規就農してからの苦労話をされていました。新規就農だと満足いく値では買い取ってもらえず、市場では見栄えのいいものしか扱ってもらえないなかで、よつ葉は見た目ではなく地場野菜としての「質」を受け入れて買い取っていることは支えになっているようです。それでも、現状は国の補助があってこそやっていけているのだろうと思いました。
やさか共同農場(島根県)・佐藤さんの、近畿圏内はある程度の人口も売先もあり非常に恵まれている、若手新規就農者には一つの地域を背負って立つぐらいの気持ちで農業に取り組んでほしいという言葉が印象に残っています。
地場野菜農家では、生産者の高齢化問題が深刻です。現在30代前半の僕でも畑仕事を少し手伝うだけで息が上がってしまうほど重労働に思えます。そのうえ無農薬、省農薬となるとどれほどの時間や労力を要するのか想像もつきません。良いものを作っている感覚はあるが、単純に割に合わないと感じてしまいそうです。
産直の配送員としては、地場野菜を作ってくれている農家さん、これから新規就農される方が持続していけるだけの環境作りをしっかり行っていきたいと思います。
(淀川産直・笠井 誠)
第二次安倍政権になって、安保法制・特定秘密保護法の強行採決、次いでは共謀罪、その後想定される憲法改正(悪)を押し通し、戦争のできる国にしようと目論まれています。
配達で陸上自衛隊桂駐屯地の近くのマンションに行くことがあるのですが、上階から見ると新しい倉庫ができたり、車両が増えたり、物騒な変化が見受けられます。そんなお金があるのなら、医療福祉、子育て、教育、雇用や中小企業対策など困っているところに割り振れば役に立つのにと思います。
僕の祖父は1945年8月6日、広島原爆投下の日、広島市で鉄道貨物の荷役業務をしていました。出勤前で自宅にいたところ被爆しました。一昨年他界しましたが、僕が小学生の頃に被爆者手帳や足に負ったケロイドの跡を見せて、当時の生々しい体験を語ってくれたことをよく覚えています。その後も広島平和記念資料館や原爆ドームを訪れ、展示資料から伝わる悲惨さを感じ、戦争とあらゆる兵器がこの世からなくなればいいと思いました。
核兵器禁止条約交渉不参加を表明した日本政府、唯一の被爆国であるにもかかわらず「核の傘」の呪縛から抜け出せないとは情けない。『Wish you were here(もしあなたがここに居れば)』と書かれた折り鶴が空席の日本席に置かれている映像を見て、憤りと悔しさで一杯になりました。これからは、戦争を知らないわたしたちが戦争を経験した先輩からバトンを受けて戦争を阻止、恒久平和を訴え続けていかなければと思います。
(京都南産直・向井芳博)
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