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2013年 10月号(NO.031)
米の素晴らしさ 見直そう:ごはんっていいな(編集部・鈴木)、稲作の起源(高生連・福留 壯)、生きるために作る(おきたま興農舎・小林清子)
生産者紹介:「納得いく進路」実現のために(なごや職業開拓校)、ミツバチとともに列島縦断・ビジービーズ(藤井養蜂場)、思想ある製品の橋渡し(おもちゃ箱)
生産者紹介:思いを込めて(今 利一)、よつ葉の柿農家を目指して5年(藤間農園)/山里でくらす農漁村でくらす・佐渡ヶ島のソウルフードを守り継ぐ(早助屋・山内三信)
会員から:ネパールへ教育支援(NPO法人HIKIVA)、大豆を栽培 きな粉作りも(近江産直・井上陽志)、会員しゃべり場・息子はカエル遊び。まぁ、いいか…(能勢会員・河口洋美)
よつ葉職員から:生産現場の商品を通し会員さんとの関係作り(大阪産直・岸野経司)、研修部会―体験研修・瀬戸田農場でみかんの摘果(淀川産直・田野浩幸)/配送員のぼくは言いたい:いろいろ急いでどこへ行くの?(産直センター・森 敦志)
視点論点:福島の海にあふれ出る放射能汚染水の脅威−原発の再稼働審査は中止すべき・小山英之 美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)
ひとこと言わせて:遊ばずして育たない(アイ・ピー・エス 冨安智子)/下北たより:三沢市と廣澤安任(みちのく農産・哘 清悦)/編集委員からの一言:(よつば農業塾・田中昭彦)




お米の素晴らしさ 見直そう
ごはんっていいな

 

 最近の報道で「小麦の消費が米を初めて上まわる」とありました。何千年と続いてきた米作りがたったの50年余りで大きな変化の波に晒されています。なぜ、世界の3大穀物といわれ、素晴らしい食べものである「お米」がかくも大切にされない社会になったのか?! 持続的・循環的に作られてきたことの意味。多収性、一粒の種から小麦の2倍の収穫が得られる。温暖で雨の多い東アジアの気候に適した作物。食べるまでに比較的手間がかからないうえ、お茶碗1杯はわずか28円(10s4000円のお米で)。それらばかりか、鍛え続けられた生産技術・思想は、さまざまな面において、私たちの社会を特徴付けてきました。そして、言うまでもなく、実においしいのです。
 それなのに何故?です。その意味を考え続ける必要があります。単なる食生活、嗜好の変化などと軽んじていると、本当の危機がやってくるのではないか、と危惧します。
 お米の素晴らしさ、大切さはいくら強調しても過ぎることはありません。

(編集部・鈴木)

生産者から
稲作の起源
高生連・福留 壯
 稲作はいつから始まったか知っていますか?
 日本の神話(記紀 〈きき〉)では、天照大神さまが孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に際して三種の神器と共にお渡しされたのが高天原(たかまのはら)の『稲穂』であります。民の命の糧として、瑞穂の国づくりをしなさいと託されたのであります。ここに稲作の起源が見えます。
 一方、日本史ではおよそ2000年前に東南アジアから朝鮮半島を経て日本に伝わったと習いましたが、だとしてもその地で大自然の働きによりイネが出現した事実がスゴイコトと私は想う。…神秘的ロマンは感じないが云々。
 私たちの祖先は、一世代20年とすると100世代以上にわたりお米を食べ続けてきたことになります。そして今生きている一人ひとりの誰もが100世代以上の祖先を以(も)っているのです。余談ですが、もし父、母、祖父母、祖先の誰かが一人欠けたとしても私の存在は無いのです。
 荒地(耕作放棄田)を本来の田んぼに戻しながら日々の仕事に励んでいます。2000年の歴史を踏まえた稲作をしたい、戦前の田畑には農薬、化学肥料は存在しなかった。無農薬、無化学肥料での栽培にチャレンジし続けています。有機栽培は最先端の科学でもあります。土壌分析に始まり、ミネラルのバランス、微生物の状態、天候等にも配慮し、ある時は名医の如く診、母の如く稲を看る時もある。若稲の声に耳を傾け、出穂(しゅっすい)がこがね色に染まりゆく変化を観るは楽しい。瑞穂の国だからかな?!
 お茶碗の端に着いた一粒の米をみて、母は「一粒のお米を作るにも一年掛かる」と諭した。今8町(ha)の米作りをしても、一粒のお米でさえも私が育てているのではない。私が超能力で念力で育てているのではない、できるはずもない。自然の摂理に添ったやり方をしているに過ぎない。
 栄養面からお米を見ると玄米には生きるためのエネルギー、各種ミネラル、ビタミン類、繊維質等人間にとって必要な栄養が全て含まれている。2000年の歴史もそれを証明している。主食と言われる所以(ゆえん)である。
 ただ一人の百姓としては、「おいしい!」と言ってくれている声を感じ取りたい。
(注)記紀(古事記と日本書紀)、三種の神器(八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ))

 

生産者から
生きるために作る
おきたま興農舎・小林清子

 もうすぐ稲刈りの時期を迎える9月、田んぼの畔の草を刈る。
 6月の日照り、7月の梅雨と超異常気象と呼ばれた環境の下でも、稲はひたすら登熟へと突き進んできた。今年は止め葉が短いから、みかけによらず収量は上がらないかも。糠が厚くて、もみ粒が小さいのでは等、さまざまな思惑をよそに、遠い昔、遥か南方から渡来し、数千年の時を経てこの地に根付き、主食として人の暮らしと生命を支えてきた稲の誇り。畦畔に沿って頭を垂れる稲穂を眺めているとさまざまな思いが頭をよぎる。
 国の主食と言えば聞こえはいいけれども米は長い間、為政者の道具であり米を作っている者は満足に食べられなかった時代が長く続く。―小林家に残された400年ほど前の検知帳には、地域の一戸ごとの課税額が克明に記載されてい
た― 長年、農協の理事を務めていた義父は、良食味米ササニシキの普及や土壌改良、調査に熱心であったし、小農の長男であった実家の父は野を開墾し、一月一俵の米の収入を得たいと米作りに励んだ。二人とも農家が農家として生きるために闘っていたのだと思う。
 そしてまた、米は一年に一作(東北)、天災は何にも増して恐ろしいものだったろう。村の水を貯めておく堤のそばには、水神様や雷神様、地域の中心には大日様と、小さな祠や鳥居がたち、子どもの頃、日曜日の早朝、班をくみ、ほうきを持って出かけて掃除にあたった。どんなに遊びまわっていてもそれらの場所は掃き浄められ、畏れる場所でもあった。子どもであっても地域の一員としての役割を持ち、自然の恵みや恐ろしさは身につけなければならない事だった。
 刈り取りに向けて草を刈る。刈刃が稲穂にあたらないように、用水路に草が落ちないように。落ちた草は水の流れを妨げ、下の田んぼの人に迷惑をかけるから。―稲を育て米を作る、それは一朝一夕にできる事ではない―


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