よつばの40年を振り返る変化の時代を「好機」に
鈴木伸明(編集部)

地場・湯谷の田植え後の補 |
今、私たちは社会変化の大きな波の中にいるように思えます。
よつばの仕事も、早いもので始めてから40年近くが経ちました。その当時を思い起こすと、戦後の社会の土台が整い、噴出した負の側面に少なからぬ人々が批判的な目を向け始めた時期にあたります。私たちもその列に加わり、食のことから社会のあり方を問いながら仕事を作ってきました。
工業化の流れに抗して
「大量生産、大量消費」の時代といわれ、工業活動の全盛期でした。その活動の無法図な振る舞いは、食品禍、薬害、大気汚染、田畑、河川や海を汚染し、重大な健康被害、人々のいのちさえ奪う出来事を多発させました。列島の各地の光景も猛烈なスピードで変わっていったのを思い出します。
食の分野も様変わりしました。「食はいのちを育むもの」という当たり前のことが危機に晒されることになりました。巨大な食品企業が誕生し、伝統的な食品産業の多くが消えていきました。それに伴って、伝統的な食習慣、知恵の結晶とも言うべき食文化の多くが失われていきました。これらの巨大企業群の目的は「利潤の追求」で、いのちを育む食べものとは生産の考え方が異なります。「有害な健康を害する食品」が多く出回ることになりました。農業の分野も工業的な生産の考え方に侵食され、影響を受けざるを得ず、農薬、化学肥料の多用が問題となりました。この点は、農業政策が根本的に変質したことが一番の原因で、農業者を非難するのは正当ではなかろうと思っています。
もうその時代には、農業そのものに力を入れ、「国民の食料は国の責任できちんと確保されるべき」という国の体をなす根幹的な政策はとっくに放棄されており、農業は工業発展を促すひとつの手段に変わっていたのです。
生産性の向上の名目で、機械化、農薬、化学肥料の多用、機械化を可能にする圃場整備、要するに土木事業など、農業の周辺分野ばかりが政策の対象になっていました。それらの政策のなかで、農家から農地を手放させる政策だけは「失敗」の連続でした。それは「不幸中の幸い」というべきでしょう。
私たちの食の仕事はそんな社会の歩みに大きな疑問を抱きながら、それとは異なるあり方を求めてきた40年であったと振り返ります。また、思いを同じくする人たちとの多くの出会いがあり、その拡がりがあったからこそ、続けられたものであることは言うまでもありませんが、その過程で、確信的に深めてきた「課題」の多くが、今の社会の主な「価値観」とは対立します。
いのちのある食を
「食はいのち、いのちのある食」を求めることは今でも人々の生き方の問題です。競争は人を貧しくし、関係をやせ細らせるばかり。工業は刹那的でたえず限界「危機」に晒されます。限界を超えるのに暴力的な手段をとることも度々です。その富を誰もが等しく預かることはなく、危機の度に貧富の差を増大させます。持続的な社会とは反対の消耗度を深める社会です。
農、漁業などの一次産業がもっと価値ある産業とする社会が求められています。
その営みは自然との関わり、地域的な人との関わりを必要とするもので、豊かな人間関係、自然との関係を育む条件を備えています。食の生産と消費の関係も対立したものではなく、その垣根をお互いが越える努力をしながら、もっと豊かなものにしていくことが求められます。
今までの延長を超えて
今の変化の時代をその方向に社会が転換し、作り直されていく「好機」にできないかと考えます。一笑に付されそうでもありますが、戦後社会の土台そのものが大きく揺らいでいる、その中で私たちがすべきことは何か?を考えることの方が前向きになれることだけは確かです。
それには、今までの延長ではない「これからの具体的な課題」をどこに求めていくのか?が重要な事柄になります。
戦後社会を考える時、いわゆる高度成長期の時代変化がどういうものであったかを知ることが一番の早道のように思われます。社会の深層において変わった時期です。その時代の変化をよく考えることでこれからのヒントが多く見つかるのではと思っています。
今の大きな社会問題も多くは前の時代にその根をもちます。沖縄のこと、原発の問題にしても、アメリカとの戦後の関係を問わなければ核心を欠くことになります。
アメリカの政治経済圏に組み込まれ、工業に過度に重きを置き、農業を疎かにした、他の「先進国」には見られない特異な社会になっています。TPPの問題もこの延長で発生するものでしょうが、社会を一層疲弊させるだけです。
戦後間もない時期にうまれた者として、若い次の世代に伝えたいことは山ほどあります。同時に、伝えられないもどかしさも感じます。高度成長期を跨って生きる世代とその後の世代間に大きな考え方の溝があり、その後に続いた40年という時間はその溝を埋めることを一層困難にしていますが、そこを超えて次を共に考えていくのが、私たちよつば第一世代のこれからの重要な仕事かな、と思うこの頃です。 |