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2011年12月号(NO.009)
新しい年を迎える「わが家の正月」
紀州赤地どり生産農家/広栄社/クッチーナマンマ
レインボーグループ /下郷農協/農と暮らす農で暮らす
休日は「よつばたけ」 /会員リレーエッセイしゃべり場
『東日本大震災で被災した生産者を囲んで』 /
福祉の現場から
『3・11これからの暮らしを考える〜町から村から〜』 /
『予約米から、つながりは見えますか?』 /
読書クラブ会員−わたしのオススメ
福島とチェルノブイリからのメッセージ
ネパールつうしん/祝島たより
よつ葉憲章/編集委員から



新しい年を迎える
「わが家の正月」

 悲しい出来事が重なった一年も、はや、年の瀬を迎えています。
「正月」は気持ちを新たにしてくれる節目の時です。伝統的な「風習」も廃れつつある昨今ですが、今年は特別な想いで迎える時にしたいと思うこの頃です。

 一昔前は、年末ともなると、早く正月が来ないかと待ち遠しく思ったものです。何か浮き浮きする特別な時間でした。また、質素でしたが、母が作ってくれたおせち・お雑煮などの正月料理がありました。
 風習として力があったのは、人々の暮らしがその土地と色濃く結びつき、また、それぞれの地域での、お互いを支えあう関係が存在したことが一番の理由でしょう。一昔前のようには適いませんが、家族の幸せを願い、友人との親交を温めなおす、社会との関わり方を自身に問い直す機会としての「正月」は今も大切にすべき時間です。
 そして、欠かせないのが「正月料理」。心を込めて作る料理は、親から子へ「わが家の味を伝える」場でもあります。いつもとは違う心構えで準備し、新しい年を迎えられたらよいな、と思っています。
 伝統的な行事として力がある地域もまだ多くあります。形は地域、それぞれの家庭で様々のようです。以下は、各地の生産者の正月風景がどんなものかを聞いたものです。(編集部・鈴木)


以前は娘と今は孫と一緒に、料理に込められた意味を話しながら、おせち作りをします。元旦の朝はみんなそろって膳を囲む。娘や孫に正月の行事を覚えていてほしいと思って続けています。(高槻地場農産組合 久保冨美子さん)

冬は雪に閉ざされて、食べものが少なくなる山形。そんな自然の下で暮らしてきた人々の知恵が「正月料理」に生きています。
 夏に収穫した野菜を乾燥保存したもの、鮮魚が入手しにくかったことから干した魚介類を使った料理など、亡くなったおばあさんからいろいろなことを教わった。おじいさんがおばあさんの味と一緒だ、と言ってくれた時はとても嬉しかったことを思い出す。今は娘と一緒に作り、娘も一人で全部出来るようになっています。(おきたま興農舎 小林清子さん)

おせちは息子のお嫁さんと一緒に作る。おせち料理は「お年とり」と呼ぶ31日から食べる。おせち以外にいろいろな料理が並び結構豪華な食卓になり、大晦日から正月が始まっているといった感じ。年越しそばを食べる習慣はない。雑煮の具もおせちの煮しめを使う。2日には長いもをすってご飯にかけて食べる習慣があり、今も続いている。今も残る風習として、おやす(神様に捧げる食器)とよばれるワラで作ったしめ飾りがある。息子が作り、孫が手伝う。7日頃まで飾り、町の恒例行事「どんど焼き」で燃やし正月が終わる。(赤石果樹出荷組合 平澤直子さん)

3世代が同居するわが家。以前は元旦の朝は「すき焼き」(お肉が贅沢品だった頃かな)と決まっていましたが、今はおせち。母に教わり、私が作ります。子どもが好みそうなもの、玉子焼きとかも。餅つきは、そろそろ覚えなくちゃと思っていますが、母の担当。漁師町ですので、カツオのタタキとか刺身魚は当然食卓を彩ります。元旦の風習として残るのが、数え年をとる行事。元旦の朝は一番に「年をとってきいや」の掛け声から始まります。(土佐佐賀産直出荷組合 浜町明恵さん)


北摂・高槻生協の年末恒例「もちつき・しめ縄作り」にて(2010年12月)

沖縄では祖先を大切にする心が今も強い。しきたりや行事を子孫に伝えることは大切なこと。お供えを通して、小さい頃から、子や孫は自然に料理を覚えていく。正月(お盆の時なども)には50人、60人(多くて何人かわからないぐらい)と集まる。大変だけど家族が集まりとても楽しい。
(沖縄物産企業連合 花城キヨさん)

問われてみて、正月料理のことをあまり考えていなかったことに気づかされました。元旦からスーパーも開いている時代で、お餅、煮しめも年々残り気味。今年はあらためて考えてみたいと思います。孫も育ち始めて来ている今、食に携わる者として…(苦笑)。ちなみに、今までは私が主に準備をし、時々妻が手伝ってくれます。雑煮のダシは新巻鮭の頭。宮古の山の方はキジを使うようです。お餅はくるみダレをつけて食べます。 (丸友しまか 島香尚さん)