今改めて人と自然の関係を問い直そう
―「よつ葉憲章」見直しに向けて―
日々の目まぐるしい出来事の中で方向を見失わないために
自然災害と原発人災が重なり合って起きた歴史的な出来事が私たちの社会の転換点となってほしいと願いながら、そのために私たちに今出来ることはなにかと考えるこの頃です。特に原発事故は、近代的な暮らしなるものが、大きな危険と隣りあわせであることを気づかせてくれました。あれだけの重大事故が起きても、まだ原発は必要という人がいますが、目先の「小さな危険」をことさら煽り、将来の更なる大きな危険を受容れさせようなど愚かな行為です。
「成長」を謳歌し、豊かになったと言われるけれど、一方で人の関係はますます希薄になり、都市の片隅で孤独死を迎える人もいる。数10年前に比べたら犯罪は増える一方、自殺者の増加、等々。「病んだ社会」を印象付ける事象は年々増えるばかりです。近代的な暮らしと人々の幸せとは関係がないことなのでしょう。モノは一杯あっても、人間関係がやせ細ってしまっては本末転倒です。
私たちは食の仕事を作っていく上で、なにを大事にしていくべきか、その考え方を「よつ葉憲章」として表しました。時の流れは急で、次々と様々な「出来事」が発生します。目先ばかり追っていると方向を見失います。何を目指すのかを見失わないための指針が必要です。「憲章」はそんな意味合いを込めて作ったものです。
憲章を作ってから20年程が経過しました。当時と今と何が変化して何が変わらないのか、食のこと、社会のこと、私たち自身の考え方も含めて、今改めて問い直そうと内部で議論を進めることにしました。
主には「憲章」の一項目の考えを整理し深め、あらためたほうが良いのではないかということです。
人と自然の関係が逆立ちし、自然は人が制御できる。今は出来なくとも、科学技術の進歩がいつか可能にするという。科学自体を否定するつもりはありませんが、過信まで行くと「信仰」です。この信仰には祈りがなく、人の驕りが目に付きます。
人は自然の一部です。食の生産に関わる人々にとっては自明のことです。食の生産は自然の力に大きく依存します。人の力など微々たるもの、と自然に対し「畏敬の念」を伴う仕事です。また、よく言われる「成長」などという価値観より、「持続、循環」の方が価値観として上位にあります。その土地柄に応じた条件の中で、何千年と続いてきた、いのちをつなぐ持続的な営みこそが重要なのです。
今、社会の主流のあり方は、持続的でない、自然は無限に利用できるという錯覚、自分で自分の足を食べるに等しい行い、目先の己の利益を追うことには熱心だが、長い目で見た人々の利益(幸せ)には無頓着。今日のために明日を食い尽くす。刹那的、暴力的…etc.と表現できるのではないでしょうか。
人口が減少に転じたという話題も、人々が「希望の持てる未来」を見出せないことと関係しているのか、と思えば頷けます。
自然的世界とひたすら対立させて、人間的世界を作り上げることに「膨大で無駄なエネルギー」を使ってきたのが近代の歩みと言い換えることもできます。「幸せ」よりも「病・不幸」の方を多く生んだといったら言い過ぎでしょうか。
目先の「成長」より循環・持続へ
これからの社会が大きく転換していく必要を強く感じます。食のことに関わっていると、なおさら、そう思います。人は自然の一部でしかない自明の理にもっと謙虚にならないと破滅しかもたらさないのではないか。成長よりも循環、持続が重要な価値観となる社会への転換です。
私たちは、思いを同じくする人々と連携し、共同しながら、先のことを考え、試行錯誤を繰り返しながら、日々を積み重ねていきたいと思っています。そして次の世代に引き継ぐ確かなものを何かひとつでも作れたら幸いです。
その指針としての「よつ葉憲章」です。皆様のご意見をぜひお聞かせください。
(関西よつ葉連絡会・鈴木伸明)
*追記)このつうしんの7面に哲学者の内山節氏にこの議論に関連する原稿を依頼し掲載しています。ぜひ、読んでいただきますようお願いいたします。 |