火災事故からの再スタート!
よつ葉らしい豆腐づくりを目指して
よつ葉の豆腐工場「別院食品」は30年ほど前に、能勢町で国産大豆とニガリと水だけで豆腐をつくろうと試作を重ねて始まりました。当時、製造開発をしていた一ノ瀬さんの名前を取って「いっちゃん豆腐」と名づけられていました。無農薬や減農薬の大豆栽培はとても手間がかかるため、信頼のある大豆生産者と協力し、それぞれの風土、気候に適した大豆を、ブレンドして使っています。生産者のこだわりや30年にわたる技術や学びの蓄積としてよつ葉の豆腐があります。そんななかでの突然の火事。あの日から7ヶ月がたちました。製造を休止していたこの間、会員さんからも待望の激励やカンパをたくさんいただきました。
この挫折を乗り越えて
別院食品代表 津田道夫
1月23日、日曜日。朝7時ごろ、電話で別院食品の豆腐工場から出火し、消防車が集まっているという一報を受け、車で駆けつけた。けれど、ただただ見守るしか、すべはなかった。近くの町道に集まっていた地元の人たちに向かって、頭を下げてまわるしかなかった。
あの日から7ヵ月。よつ葉の豆腐づくり再開に向けて、本当に多くの人たちに支えられ、励まされてきました。工場再建への基本方針を考え始めて、すぐ思い起こしたのは2011年の大震災の津波によって生産現場を失った人たちから教えられた経験でした。
部分的であっても、まず現場に人が戻って生産を再開すべし。なかなか予測通りには進められず、いくつものトラブルに直面しつつ、でもなんとか、9月12日からカタログ『Life』紙面での出荷再開にこぎつけられたのは、東北の生産者の貴重な教訓に支えられたからだと思っています。
各地のよつ葉の配送センターには、本当に多くの会員さんから、激励の言葉が届けられました。関西よつ葉連絡会が呼びかけたカンパ要請には400万円を越える支援金が寄せられました。
別院食品の豆腐づくりの基礎を支えてもらっている全国各地の大豆生産農家の皆さんにも、多大な迷惑をおかけすることとなりました。2021年産原材料大豆は、契約生産していただいた全量を引き取らせていただきましたが、2022年産は一時休止していただくことになってしまったからです。でもおわびのつもりが逆に励ましを受け、「よつ葉さんが受けてくれるから、大豆づくりを続けてこれたから」と聞いて…。
豆腐づくりのさらなる向上
別院食品の出荷が止まっている間の豆腐類の出荷は各地の豆腐生産者に代替出荷していただきました。生産再開がほぼ決まった7月下旬から8月上旬にかけて、別院食品の工場長が各現場にお邪魔してお礼のあいさつに伺い、合わせて各所の豆腐づくりの現場を見せていただきました。
皆さんの豆腐づくりにかける熱い思いを受け止め、別院食品の今後に生かせる技術や工夫を学ばせていただくことができたと感謝しています。
30年前、能勢町の小さな工場から始まったよつ葉の豆腐づくり。その現場を担い、支えてもらった多くの人たちの顔を思い起こし、この挫折を乗り越えて、よりよつ葉らしく、楽しみに待っていただける豆腐づくりの現場を目指します。ご支援どうもありがとうございます。
豆腐づくりができる喜び
別院食品工場長 竹田正幸
別院食品に勤めて20年目になります。豆腐は元々、特に好きなわけではありませんでしたが、誘われたのがきっかけで入社しました。作業は難しく、腰も痛くて「大丈夫かな〜」と思いながら働いていたことを思い出します。
今では、おいしい豆腐とそうでない豆腐がはっきりと分かるようになりました。その違いは特にすごいことをしているわけでもなく、自然に近い栽培でつくられた大豆、海水からつくられたニガリを使い加工するといったシンプルな製造です。おいしくないのは豆乳に水を加えてつくれる量を増やし、さらに豆乳濃度が低くても豆腐ができる凝固剤を使用するからです。
このように自分がどんなものをつくっているか考えてみると、製造方法や契約栽培大豆生産者など、よつ葉の豆腐づくりに関わってこられた方々、この環境をつくってこられた人たちのおかげだと思っています。
製造を休止していた間に、配送センター・よつ葉の店舗・各生産工場・他店の豆腐工場などで、研修することもでき、これからの別院食品の将来の方向性も含めて少しでも考えることができたと感じます。
幸い火災による人災もなく、また豆腐づくりができると喜びを感じながら前向きに頑張ります。皆さまには本当にご迷惑とご心配をおかけしました。また、たくさんのお見舞いや励ましをいただいたこと、ありがとうございます。
もめん豆腐の製造風景
別院食品工場長の竹田さん(右)と代替品を出荷していた内田安喜商店代表の後藤さん
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