ゲノム編集食品をどう考えるか
田村 典江(事業構想大学院大学専任講師・農学博士)
●人類存亡の機にゲノム編集に期待?
ゲノム編集(遺伝子編集)技術の食品への応用が注目を集めている。食と農の研究者として私は、ゲノム編集の技術的重要性について理解するが、現状における食品への応用については強い懐疑を抱いている。ゲノム編集技術と私たちはどう向き合うべきだろうか。
ゲノム編集は遺伝子工学分野の技術で、食と農だけでなく医療や創薬などさまざまな生命科学分野で注目される新技術だが、食と農分野に限って言えば、遺伝子に働きかける品種改良技術と解釈できる。遺伝子に働きかける品種改良といえば、遺伝子組み換え技術が思い浮かぶが、両者の違いは遺伝子組み換えが外来の遺伝子を持ち込もうとする技術であるのに対し、ゲノム編集は対象となる生物がもともと持っている遺伝子を操作(編集)するものである(注)。
従来、育種家が行う品種改良は、突然変異により生じた特徴ある性質をもつ個体を選抜し、固定することで行われてきた。ゲノム編集はこのプロセスのうち、「突然変異」を狙って引き起こすものであり、品種改良に必要な時間を大幅に短縮できることが利点だ。
周知のように、私たち人類は未曽有の環境変動の時代に突入している。世界の気温が30年で1℃上昇するような時代においては、従来のように品種改良に何十年も費やす余地はないのかもしれない。このような状況下においては、品種改良時間を短縮するゲノム編集技術には一定の意義があるだろう。
もちろん、たとえ質的に同じであっても遺伝子を直接操作することへの忌避感は当然ある。それは倫理的な理由によるものかもしれないし、新技術ゆえの不確かさへの懸念によるものかもしれない。しかし仮に、気候変動が激化し世界中で耕作地が大混乱を来たし、人類が存亡の危機にあるような状況に陥ればどうだろうか。いちかばちかで忌避感を飛び越えて、ゲノム編集で生み出される新品種に期待せざるを得ないという未来も有りうるかもしれない。
●資本主義市場フードシステムこそが顧みられるべき
ところが実際のゲノム編集食品は、そのような人類の危機を解決するべく活躍しているわけではない。現在、日本で商業的に流通している食品は表(下記)のとおりだが、肉厚マダイを例にとって見てみよう。
肉厚マダイは、ゲノム編集により筋肉の成長を制限する遺伝子が破壊されたマダイで、通常のマダイに比べて筋肉量が多くなり、しかも同等量のえさで1.2倍の厚さに生育する。ただし野生のマダイとの交雑を避けるため、陸上で養殖しなければならない。これまで牛肉や豚肉に比べると、品種の概念が希薄だった養殖魚において、筋肉質な身という特徴があり、かつ養殖効率がよい点が肉厚マダイの売りである。養殖効率がよいことは、限りある餌資源の有効利用につながり、魚食の持続可能性にも貢献するという。
しかし本来、魚は人間が取りつくさなければおのずと増える資源であり、天然の魚を持続可能に利用すること以上に効率がいい魚食はあり得ない。ましてや陸上養殖となれば、水の循環や温度管理などに余分なエネルギーが必須となるはずだ。また食味についても、潮流の早い明石の鯛は身が締まっているというような地理的な特徴、あるいは花見鯛のような季節的な味わいが、魚食の楽しみであり文化である。均質に一定の“筋肉質な”マダイを供給するという肉厚マダイの発想は伝統的な魚食文化からすれば後退ではないだろうか。
そもそも私は養殖漁業そのものについても再考が必要と考えている。養殖漁業は沿岸漁業が苦手とする定時定量低価格の供給を可能とするため、現代のフードシステムにより適応しており、品切れが許されないチェーンストアやチェーンレストランで重宝されてきた。ところがこの特徴が裏目に出たのが新型コロナ禍である。特に飲食店向けの高価格帯の養殖魚(トラフグ、カンパチなど)では大規模な余剰が発生した。養殖漁業経営の難しさ、脆弱さが大きく露呈したというのに新たな養殖品種を投入することが本当に業界のためになるのだろうか。
また大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とする現代のフードシステムこそが省みられるべきであることはいうまでもない。大量の食品ロスという現実があるのに、養殖漁業の生産効率をあげたところで、果たして魚食の持続可能性にどれだけ貢献できるのだろうか。
人間の暮らしが地球の限界を超え、されど社会の格差が一向に縮まらない現代において、今のフードシステムが破綻寸前であることに、多くの人はうすうす気がついている。にもかかわらず、なんとかこのシステムを生き長らえさせようという努力が多方面で続けられている。そして今のところゲノム編集技術も世界の危機を救うためではなく、ほころびた資本主義市場を取り繕うために動員されているように見える。研究者としてゲノム編集技術を否定はしないが、そのようなゲノム編集食品はいらない、と主張したい。
注)あくまで現在実用化されていないだけで、ゲノム編集により外来遺伝子を挿入することは技術的に可能である。厚生労働省では、ゲノム編集食品の食品衛生上の取り扱いとして、3つの区分を設けており、外来遺伝子を挿入しないタイプ1は届出制とするが、外来遺伝子を挿入するタイプ3は遺伝子組み換え食品と同様に安全性審査の対象であるとしている。またタイプ2は外来遺伝子を道具として用いるもので、その外来遺伝子が残るときも残らない場合もあるため、ケースバイケースで審査対象になることもある。