塩屋は約30年前に茨城県涸沼(ひぬま)の活しじみ・国内産活あさりを中心とした魚食普及と地域貢献を目的に設立しました。当初は貝類だけでなく地元、大洗の干物、そして東北で漁獲された魚をお届けしていたのですが、10年前の東日本大震災から状況は一変。
放射能による風評被害、被災による出荷制限や漁獲制限、販売形態を変える地方業者も多々あったことで、産地から提案する「魚屋さん」から、初心に戻って産地の「貝屋さん」として再出発することになり、現在に至ります。
信頼できる生産者から仕入れた国内産あさり、しじみ。選別は全量、貝に優しい手作業で行うことをこだわりとしています。殻の大きさであったり、模様などの違いを人の五感を頼りに目で見て、手に音と重さを感じて臭いを嗅いで選り分ける。なかなか重要な行程です。
どのようにしたらおいしくなるのか…。鮮度を高めることができるのか、冷凍することでおいしくなるならこの形で。貝を全て開けさせて召し上がってもらうならこの温度で。加熱して凍らせて一定の加熱をするならこの形状で…。というふうに常に「他とは違うな」と感じてもらえるようにするための試行錯誤は怠っておりません。生きものと向き合っているので季節・天候・産地、当然違う条件の原料が届きます。その時々に応じた行程と作り方をすることで、安定したおいしさを皆さまにお届けできるよう励んでおります。
魚介類を取り巻く環境は年々厳しくなっております。地球温暖化の影響か海水温の上昇、降水量の変化など、皆さまも感じておられるように「例年」にはない環境の変化に魚介類の減少は止まりません。産地に根ざして資源を守るべく行動していく所存です。コロナ禍で皆さまが大きな不安を抱えるなかでも「食事」を通して食卓に笑顔を届けられるように日々邁進してまいります。
(石原 博)
人の五感を頼りに選別
(西 龍介)
茶葉の収穫風景
私たちは和歌山県海南市で山椒などの薬種材料、棕櫚製品などの紀州特産物を販売しております。創業者山本勝之助は、若い頃より共存共栄の商いを標榜し、自らの体験をもとに「手廻しせねば雨が降る」など、いくつもの訓語を配り、多くの人の商売がうまくいくよう願いました。勝之助の創業精神を守り、時代が変わっても変わらないもの、変わってほしくないもの、守りたいものを伝えながら商いをしております。
棕櫚は「しゅろ」と読み日本原産のヤシ科の木です。毛(樹皮)はしなやかで柔らかく、かつ強靭、耐水性のある優れた素材で、昔からほうきやたわし、縄の原料に使われてきました。棕櫚製品は和歌山県の特産工芸品で、一世紀以上の実用から生まれた造形美。手仕事、手づくりの美しさがあります。
もちろん棕櫚の素晴らしさはその機能性です。ほうきは掃除機では届きにくい隙間に入り込み、細かいホコリを集めます。騒音が出ないので夜中の掃除でお隣に気兼ねすることもありません。部屋に吊しておけば掃除機をしまう手間もいらず、むしろインテリアに溶け込みます。電気代も不要で環境に優しい生活が無理なくできます。たわしは洗剤を使わなくても、力を入れなくても、鍋底や床の汚れを簡単に落としてくれます。棕櫚を使うことは生活そのものを見直すきっかけを与えてくれます。
棕櫚製品は紀州の山あいで細々と作られていますが、大変手間のかかる仕事で、座敷ほうきなどは一日数本しかつくれません。他の手工芸と同じく、職人の高齢化、後継者不足、外国製品との価格競争などの問題を抱え存続が危ぶまれています。そんななかでも棕櫚の良さを伝え、生活に取り入れる人が少しでも増えることで、棕櫚の文化がこれからも続いていくことにつながればと願っています。
(土田高史)
1880年創業、商号は「かねいち」
農家の仕事は何でしょうか。この問いに対しての答えは、作物を「つくる」というものが一般的だと思います。おおかた正解だとは思いますが、その答えは極めて短期間での視点のものではないでしょうか。本来、農業の仕事内容は「つくる・つたえる・つどう・つながる」という4つの行動によって定義されるのだと私は思います。
今、農家として生きているわれわれは、歴代の農業人として生きてきた先人の知恵と、知識と経験をもとに、改良を重ねながら農作業を行っております。つまり、故人の「つたえる」という行動によって助けられています。
この「つたえる」という行動は、米の自由流通が始まってから、私たち農家にとってよりいっそう大事なものになりました。作り手の思い・味・技術をつたえることにより、私たちの作物を気に入ってくださる消費者の人たちと出会って、言葉を交わすことができるのです。つまり「つたえる」ことにより「つどう」ことができ、それにより事業が大きくなるのです。
それらの「つくる・つたえる・つどう」という行動は簡単ではありません。しかし常に意識しながら行うことにより、私たち農家は消費者やさまざまな人たちと「つながる」ことができると私は考えています。
「つくる、つたえる、つどう、つながる」という4つの行動を円滑にできてこそ、故人の技術を後世に伝えながら、進化した作物を消費者へお届けするという一連の流れができるのだと私は思います。そして、それが農家の仕事の本質なのではないでしょうか。
まだ米づくりを初めて3年ですが、今は父からしっかりと米づくりを継承し、次の世代へとつなげていけるように、日々米づくりに励みたいと思います。
(渡部文都)
南陽アスクの皆様 一番右が渡部さん
全てを自分で決定することができ、失敗も成功も自分で受け止めることに魅力を感じ、2009年40歳手前で家業を継いで就農しました。
当初は素人ながらに農薬はあまり使いたくないと思っていましたが、代表の蔵本のように無農薬に対する強い思い入れがあるわけではありませんでした。メインの出荷先であるよつ葉の会員さん向けには減農薬栽培を、その他の園地は市場出荷向けに慣行栽培を行っている状態でした。
実際に農作業をするなか、農薬散布で気分が悪くなったこともあり、農薬は使いたくないという思いが強くなってきました。また農薬を散布すると(光合成が阻害されるからか)みかんがまずくなることを実感するようになったので、「極力農薬を使わない」「おいしいみかん」を2つの柱に決め、全園地を減農薬栽培に切り替えました。
しかし現実は甘くなく、独自に農薬削減を試みると、毎年なにかしら失敗し天候不順もあり反省点だらけ、毎年「来年こそは」と思っていますが、満足できたためしがありません。一生満足できないままかもしれませんが、逆にいつも来年が待ちきれないくらい楽しみです。
一方「おいしいみかん」のため、就農当初より適地適作化、新品種への入れ替えを進めてきました。みかんの木を植えてから一人前のみかんが収穫できるようになるまでには10年近くかかる気の長い話なのですが、就農して12年たち自分で植えた木々が続々と収穫期を迎えており、品質・おいしさがレベルアップするんじゃないかと期待しています。今年のみかんもおいしくなるよう努力していますので期待していてください。
(池田義行)
みかん山から
香害、化学物質過敏症について
ハイネリー 水本和子
「あかんで、そんなきつい匂い。鼻から脳に行ったら病気になるで」とある映画館で隣の席から聞こえてきた会話。欧州・カナダでは、公共の場所での「香り」に対する厳しい規制があるほどです。例えばバスに乗るとき、香水の香りがするだけで乗車拒否になります。「香り」というのは喫煙と同じ扱いになるほど、国が国民の健康を守っているのです。
ところが日本では子どもたちの間で衣類や体操服から香料の匂いがしないと、仲間外れやいじめの対象になったという話を聞いたことがあります。今でも洗濯には全く関係のない「ビーズの香料」を入れる商品CMが流れています。香料を目に見えないようなプラスチックのマイクロカプセルに閉じ込め、徐々にカプセルが壊れることによって長時間香りを持続するようにしているのです。一方で、マイクロカプセルの破片を吸い込むと一気に肺の奥まで届きます。そうしたなかで化学物質過敏症という目に見えない症状が人々を苦しめるようになりました。例えば隣家で洗濯が始まると化学物質を吸い込んでしまい、激しいせき・頭痛・吐き気・動気・めまい・中枢神経にまで弊害を及ぼしてしまう。そういった患者さんが、日本では推定100万人以上いるといわれています。2009年厚生労働省は化学物質過敏症の病名登録を「中毒」の分野で認めました。
以前、ハイネリー宛に化学物質過敏症支援センター(5面をご覧ください・編集部)からお便りをいただきました。私たちのつくった石けんが、化学物質過敏症の皆さまのお役に立てているということで、本当に驚きました。「香害」から引き起こされる症状は薬や入院手術で治るものでなく、特効薬もありません。病院で症状を訴えても精神的な問題ということで片付けられてしまうので、症状以上に家族や医師からも理解されないのはさらに苦しみが倍化すると訴えておられました。マンションのベランダから降り注ぐ香料、すれ違う人の衣類の香料で外も歩けない。スーパーに行っても合成洗剤・柔軟剤・化粧品の匂いで、買い物もできない方がいるのです。
ハイネリーでは一部、微量の香料(微香料)を使用している商品がありますが、「無香料」の商品がほとんどです。合成洗剤と石けんの違い、そして香害については「人と環境に優しい石けん」を掲げる石けんメーカーとして、これからも伝えていくべきこととして引き続き取り組んでいきます。
製造風景
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