古き良き香り文化を伝承
山田松香木店
京都府京都市:夏ギフト:線香 白檀華洛、華洛詰合せ
6世紀に香木が日本に漂着して以来、香木をはじめとした草木花など自然由来の香原料を中心とした「日本の香り」文化がおこりました。それら原料の多くは海外からの渡来品。我々日本人は、奥ゆかしさや慎ましやかさが内在する日本独特の感性により解釈し、香りを醸成し、日本における香りの文化を創ってきました。
当初、仏教と共に普及した香りの文化は、平安時代には趣味や教養の分野へと領域を広げ雅やかな香りの薫物が流行しました。その後、室町時代には香木の静謐な香りに精神を深め、その中に多様な伝統文化を統括する日本独自の香りの芸術「香道」が東山文化のなかで花開きました。以来、日本の香りが時代を超えて錬成されてきたのです。
山田松香木店は江戸時代・享保年間に薬種業を始め、その後、薬種の扱い品目を香りに特化し、現代まで日本の香り文化を正統に伝承してきた老舗の香木専門店です。また、当社の拠点となる京都御所西地区は、平安時代には主要な貴族が多く住み、香り文化の発祥・伝統の地といわれています。原産地からの直接買付、輸入、製品化を一貫して行い、天然香料にこだわったものづくりで高品質な薫香製品を造り続けています。
古き良き伝統的な概念は大切に保存すべきこととして確実に伝承する一方、現代のライフスタイルに合わせた「香りのかたち」を的確にご提案し、誠心誠意をもってお届けする。そしてその香りをもって皆さんの暮らしを少しでも豊かなものにすることが、我々の願いでもあり使命でもあると考えております。
(山田洋平)
山田松香木店外観
有機栽培のさらに上に挑戦
中井製茶場
京都府相楽郡:夏ギフト:有機宇治銘茶撰
京都府相楽郡和束町は高級宇治煎茶の産地として知られています。その恵まれた環境の中で6代にわたりお茶を作ってきた父親が、あるテレビの報道番組と家族で受けた体内の残留農薬検査をきっかけに、1987年から有機栽培のお茶づくりをはじめました。それまでは年に十数回農薬を散布しており、有機に切り替えると聞いた周囲の農家からは無謀な取り組みだと変わり者扱いされましたが、家族や仲間の協力と農薬まみれのお茶を提供できない一心で取り組んできました。
当初3年間は収穫量も少なく満足できるお茶もできませんでしたが、4年目から明るい光がさしてきました。ミミズやモグラが戻ってきたのです。同時に茶樹にも勢いがつき、害虫を退治してくれる天敵(クモやテントウムシなど)も現れ、農薬を必要としない茶園に…。現在数軒の農家で茶園を一括管理し、煎茶を中心に抹茶や番茶、国内産の本格的なウーロン茶や紅茶を栽培から加工まで一貫体制でつくっています。
飲む人にも、つくる人にも安心安全なお茶をと考える両親の思いを受け継ぎ、私も有機栽培のお茶づくりに取り組んで24年が経ちました。最近ではそこからさらに、おいしさを求めて希少価値の高い有機玉露や抹茶、高級煎茶作りに挑戦中です。高級な煎茶や玉露、抹茶などは淹れ方が難しいという声をよく聞きますが、あまり考えすぎず自分がおいしいと思う淹れ方を見つけてほしいと思います。
太陽と自然の恵みをいっぱいに受け、私たちが有機栽培で伸び伸びと育てたお茶を、多くの皆さまにお楽しみいただければ嬉しいです。
(中井敏太)
茶葉の刈り取り作業
「喜人是品」を理念にものづくり
遠藤製餡
東京都豊島区:夏ギフト:あんこ屋さんの水ようかん詰合せ
遠藤製餡は、戦後の傷跡がまだ残る、人々が「甘さ」を渇望していた1950年に誕生しました。以来「喜人是品~人を喜ばせるものこそ製品である」を企業理念とし、伝統の技に磨きをかけ、先進の技術力で「品質」と「安心」を皆さまにお届けするべく、一歩一歩着実に歩みを重ねてきました。味を一から創造していく「職人」気質を大切に、豊富な知識・情報とこだわりをもつことを大切にものづくりをしております。
年々高まる「健康」「安心」のニーズに応えていくため、いち早く餡の「低糖化」への取り組みを開始しました。しかし、糖度を低くする試みは、より厳しい小豆、餡の鮮度管理が求められることになり、生産計画のローテーションを徹底させることで実現できました。また「おいしさ」を追求した結果、小豆本来のうまみを残せる独自の製法技術を生みだしました。
無垢な土地から生まれる自然の恵みをそのままお届けしたいとの思いから、主たる原材料であるあずきのオーガニック栽培についても積極的に取り組んでいます。原料の栽培・調達から品質管理まで、第三者の審査・監督を含む高いレベルでのマネジメントを行っており、商品の安全性に関しては、絶対の自信を持っています。
現在、「オーガニストENDO」のスローガンのもと、生態系にも配慮した有機栽培を進めるとともに、自然派志向のスイーツや飲料を通して日本の食卓をもっとすこやかなものにしていきたい。そんな思いから、日々試行錯誤をくり返しながら、皆さまの幸せにつながる商品づくりを心がけています。これからもオーガニストENDOのチャレンジにご期待ください。
(梅村和明)
栽培、品質管理が徹底された小豆
つながり、つなげて発信を
肥後れんこんの里
熊本県宇城市:トマト・メロン・アスパラ
農家の長男として生まれ、自然と農業に取り組み40年ほどになります。就農当時は、イ草栽培・施設園芸・水稲栽培を行っていましたが、機械化が進行するイ草栽培を終え、施設園芸のハウスに設備投資を行いながら、トマト・ミニトマト・肥後グリーンメロンを、露地栽培においても水稲の後作にメークインを栽培しております。
私の住む八代市鏡町北新地は、農業環境にも恵まれており、用排水路の整備、淡水防除設備も整っており、農業環境としては日本トップクラスの地域です。
東北地震から10年、熊本地震から5年が経ちました。今回の新型コロナウイルス発生から1年。今第4波が迫ってきています。将来に不安だらけの中、農業者として今何ができるかを考えると、やはり安心・安全・おいしい農産物を生産し届けることだと思います。
近隣の農業者でも高齢にもかかわらず、コロナを発病しても重症化せず元気で生活されております。ちゃんと生産された農産物を食べていれば病気になりにくいと考えています。
最後に私は農業者としてすべきことは、国土保全と、国民への食糧の安定供給だと考えます。現在、外貨により、農地・水源地・山林・温泉地・ゴルフ場などがたくさん買われています。これでいいのかな! SDGsの目標達成もこのままでは遠くなるのではないでしょうか。一人ひとりが考えて、つながり、つなげて発信しましょう。これからの日本のために。私たち生産者の問題でもあり、一番は消費者が考えることだと思います。
(永松義智)
永松さん
作物に語りかけ丁寧に
おきたま興農舎
山形県東置賜郡:おかひじき・米
私の住む山形県南陽市砂塚は、地名の通り水はけの良い砂地土壌の土地で、昔から白菜、大根、ごぼうなどの野菜農家の多い地域です。私の家は300年以上の歴史があり、私で16代目です。私の子どもの頃は、子どもは農業の仕事を手伝い(半強制的)、長男は農家を継ぐのが当たり前の風潮でしたので、私も農業高校を卒業してすぐに就農しました。
私が「おかひじき」に出会ったのは、今から40年くらい前の高校1年生の頃だったと思います。私の両親が近所の人たちと農協の出荷組合を立ち上げ、最初はなじみがない野菜だったため、東京方面によく消費PR活動に行っていました。そのたびによく「雑草」と間違えられたそうです(確かに山形県民は「雑草」のスベリヒユも食べますが)。
私が「おかひじき」中心の野菜農家をやっているのは、他にも食べ方はいろいろありますが、私自身が「おかひじき」の辛子醤油和えを食べるのが大好きだからです。
自分も家族も口にするものだし、自分が食べて「おいしい」と感じるものを生産して消費者の方に食べてもらいたいので、できるなら無農薬で栽培したくて、「おきたま興農舎」の皆さんに手伝ってもらい、無農薬栽培に取り組みました。
簡単に栽培できそうな野菜ですが、生育は天候に左右されやすく、病害虫にも弱いので生産量が不安定なのですが、なるべく安定した生産を目標に、これからも作り続けたいと思います。
(寺島善範)
寺島さんご家族
甘夏を通じて、水俣を伝えていく
からたち 大澤 菜穂子
水俣もコロナの影響を受けている。飲食業、旅館・ホテル、製造業をはじめとするさまざまな業種の人たちが疲弊している。また、年間約18,000人になる県内の小学生をはじめ、水俣病を学びにくる大勢の人が訪れていたが、その流れがピタリと止まっている。水俣病資料館も長期休暇が続いた。水俣病資料館で語り部をしている私たちの甘夏生産者が年間40回行っていた語り部講演も、昨年からリモートで1回のみ。個人的な講演も年間90回から7回になったと話す。
コロナ禍で水俣にある大手ファミリーレストランも先日閉鎖された。閉鎖されることを知り、水俣病の胎児性患者さん(*)たちとそこへ夕食に行くことが続いた。夕食を食べながら「今日は午前中だけで2回プログラム(リモートで水俣病を伝える)したもんね」と話す。コロナ禍ではあるが、インターネットを駆使しながら、水俣からの発信を続けている。こんな状況ではあるが、以前みたいに水俣に人は来れなくなったなかでも発信を止めていない姿に勇気をもらう。
「倍返し」という言葉が少し前にはやったが、倍返しじゃない社会をつくることを、45年前水俣病がきっかけで陸にあがった漁師たちは、無農薬の甘夏栽培を通じて実践してきた。「人に毒を盛られた者は、決して人には毒をもらない」。無農薬で甘夏の栽培を始めた、水俣病患者でもある漁師のその叫び声がはじまりだった。今もその声は、ここ水俣で無農薬の甘夏をつくり、販売を続ける、私たちの背中を押してくれている。
右から左に甘夏を売ればいいと思っていない。甘夏で大儲けしたいわけでもない。私たちは水俣の甘夏を通じて、多くの人と水俣と出会ってもらいたい。そして、この社会を正していく仲間を作りたいのだ。その仲間たちと、理不尽で不平等なこの社会の根本的な構造を変えたい。そんな想いを持ちながら今日も全国に水俣の甘夏を出荷している。なぜならこの想いは私たちだけのものではなく、水俣病で亡くなっていった多くの被害者たちの願いでもあるからだ。
(*)母親が食べた魚介類に含まれたメチル水銀は胎盤を通り、胎児に大きな影響を与えた。生まれながらに水俣病患者となった。
からたちのスタッフ(左が菜穂子さん)
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