信州の風土と素材にこだわって
カナモト食品
長野県東御市:信州望月高原辛キムチ、信州望月高原しそキムチ
1974年創業、カナモト食品です。主には長野県にある望月高原標高1000mにある、グループ直営の農場で栽培された新鮮な白菜のみを使ったキムチの製造、販売をしております。
市販の白菜は見た目が重視されるため、虫に食べられにくく、葉は固いものとなってしまいます。一方、私たちのキムチに使っている白菜は、市販されているような「きれいな白菜」ではなく、葉は柔らかく、雨・風・虫に弱い品種なので畑での収穫量も不安定になりがち。それでも私たちがこの白菜にこだわるのは、「おいしいキムチはおいしい白菜からできる」と考えているからです。どんなに調味液をおいしくしても、葉が固ければ味が入りにくく、おいしいキムチにはなりません。そのため、この白菜は私たちの求めるキムチの味を生み出すにはなくてはならないものです。これは、原料から商品製造までを一貫管理しているからこそできることだと思います。
加えて調味液、ヤンニョムは化学調味料を使用せず、自然原材料にこだわっております。特に、材料に使う自社製イワシの塩辛については、富山で水揚げされたイワシを、その場で塩漬けして長野に持ち帰り、そこから最低でも1年間熟成したものです。そのままでは臭くて使えませんので、使用する前に煮出して濾してから他の材料と混ぜ合わせます。そして何より、信州の地下に浸透した蓼科山嶺のミネラルを豊富に含む伏流水、望月高原を渡る風、低い湿度とキムチづくりには好条件がそろっています。
こうした風土と素材に対するこだわりをもって、手間暇をかけて作られたキムチ。今後も皆さまにこの「秘伝の味」をお届けできるよう励んでまいります。
(一色威志)
こだわりのキムチ
増える課題に「なにくそっ」
ヤマヒサ
香川県小豆島:杉樽醤油濃口、淡口など
小豆島のヤマヒサです。曾祖父が始めた醤油造りが90年、父が始めたオリーブ栽培が33年になります。外国産原料や脱脂加工大豆の使用をやめて15年、なかなか生産量が増えない国産大豆や国産小麦を何とか手配しながら醤油造りを行い、極力農薬を使用しないオリーブを栽培加工しています。
醤油造りでは昔ながらの桶や蔵に住み着いた菌たちによって風味がつくられますので、いかに良い原料を使って良い麹を作るかということに気を使っています。そして、オリーブは天候次第で収穫量にばらつきが多いのですが、頃合いに熟した果実を収穫し、おいしいオイルができるよう搾油しています。
さて、醤油業界では、100万kl以上あった出荷量が75万klまで減少し、醤油を原料にした「だし醤油」や「つゆ」、「ドレッシング」などの醤油加工品がその代わりに増えていました。国内での醤油消費量の回復が見込めないことから輸出に注力する蔵元も多く、他の農産物と同様に国の輸出品目になっています。
しかし、昨年からのコロナ禍の影響で家庭内での食事が増えたため、一転して醤油の出荷量も増えており、ほとんどの調味料業界でその傾向が見られたそうです。私たちの醤油、その他加工品についても自然食業界向けのものは軒並み昨年より出荷量は増え、その一方、飲食店などの業務用や地元土産物店向けのものは減少しています。
島には佃煮、醤油、素麺、オリーブ、観光などの産業がありますが、コロナ禍・景気の冷え込みの中で多くの事業所が影響を受けており、交通インフラである船の減便や航路の廃止など、最近は暗い話題ばかりです。人手不足や原料の高騰、施設の老巧化やHACCP対応など、課題は次々と増えていきますが「なにくそっ」と頑張って乗り切りたいと思います
(植松勝久)
植松さん兄弟(右:勝久さん)
環境配慮の食品づくりで社会貢献
ヒカリ食品
徳島県板野郡:有機野菜飲むならコレ、関西風お好みソースなど
創業当時は合成添加物の使用が当たり前の時代でした。そんななか合成添加物を一切使わないソースづくりから始まり、有機野菜・果実からつくったソースを開発。有機野菜・果実を栽培している農家をいちから探さなくてはならず、有機の理解が少ないなか、2年がかりで原料を集め、ようやく完成に至った経緯があります。これも良い食品をつくり、社会に貢献することを社是としている私たちだからこそできたことです。
2000年には、環境にも配慮した、現在の工場に移転しました。太陽光発電システムや堆肥場、排水処理施設などさまざまな設備を導入し、エコロジカルな工場を目指しています。工場の緑地には、林や芝の代わりに有機畑を設け、有機ゆず・すだち・ゆこうなどを栽培しています。
また、有機農業の普及発展、より安定的な有機農産物をつくっていきたいという思いから、地元徳島県内の耕作放棄地を自社農園とするとともに、有機JAS認証農場として、有機トマト・たまねぎ・にんにく・にんじん・青じそなどを栽培しています。現在は、社員2名と近隣の福祉施設の方にも助けていただき、農福連携で取り組んでいます。
私たちの商品をいつもご愛顧いただいている皆さんは、食品の安心安全や環境問題に関心の高い方が多く、福島原発事故発生後は、お問い合わせのお電話およびメールを大変多くいただきました。2011年11月からは、放射性物質検査機器を導入し、自社商品の放射性物質検査を開始いたしました。また、ホームページで産地情報も公開し、少しでも安心安全な商品を求める声に応えられるように日々努めております。
これからも、環境に配慮した安心安全なものづくりを大切に、励んでまいります。
(島田光雅)
敷地内に畑ももつ本社工場
作物に語りかけ丁寧に
長有研
長崎県南島原市:じゃが芋・玉ねぎ・トマト
知人のすすめで農業に興味を持ち、長有研が設置する直営農場「ぎっどろファーム」に就職しました。長有研は、40年近く前から有機農業に先駆的な取り組みを行ってきた団体で、全くの素人だった私は一から農業を学びました。
長有研の野菜を食べたとき、野菜本来の味が濃く、「おいしい!」と感動したことがきっかけで、独立して自分で農業経営をしてみたいと考えるようになりました。そして3年間の研修を経て、2年前に新規就農しました。
現在は長崎県島原半島にある雲仙のふもと「南島原」で農業を営んでいます。温暖な気候とミネラルを多く含む良質な土、綺麗な水が自慢です。
長有研の規格で野菜をつくるには、雑草や害虫などと戦いながら手間をかけて育てなければいけません。苦労もありますが、喜びとやりがいのある仕事です。作物と向き合い「頑張れよ~♪」と優しく語りかけ丁寧に育てています。
食卓が笑顔になれる安心安全な野菜を、自信を持ってお届けします!
(生産者・村上秀樹)
村上秀樹さん夫妻
「農薬やらんかったら旨い」
和歌山電子農法研究会
和歌山県有田郡:みかん
和歌山電子農業研究会の池田です。
すべて自分で決定して、失敗も成功も自分で受け止めることに魅力を感じ、40歳手前で家業を継ぐかたちで就農しました。早いもので11年が経ちました。
私が就農してからは、会長の蔵本と、﨑山、池田の3軒の農家で、柑橘類を栽培してきましたが、先日、﨑山武生氏が病気で亡くなりました。少しお酒を飲みすぎるきらいはあったのですが(私もですが)、居るだけでその場が明るくなるような陽気な方だったので、大変寂しくなりました。
当会とよつ葉さんとのお付き合いは、40年近くになるそうで、﨑山や蔵本が築いてくれた歴史と信頼を引き継いでいかないといけないと改めて思っています。
私たちの居る和歌山県有田地方は、日本のなかでもみかん栽培が最も盛んな地域の一つです。それは、雨の少ない温暖な気候、水はけのよい段々畑、黒潮の浜風と、みかんをおいしくする三拍子がそろっているからだと言われます。
ただ、雨の降り方は年によって異なり、雨の影響でみかんの味が大きく変わります。最近はホルモン剤を使い、雨の影響を打ち消すような栽培方法が推奨されたりしていますが、私たちは極力農薬を使わず、自然の力を最大限活かす方向でおいしいみかんを目指しています。
同級生のみかん農家がうちのみかんを見て「汚いみかんやけど、農薬やらんかったら旨いんは当たり前やわ」と言っていました。農薬を減らしたらおいしくなるのはわかっているけど、見た目が悪くなって市場価値がなくなるので農薬を使わざるをえないということです。
黒点のついたみかんを評価していただけるよつ葉の会員の皆さんに感謝です。
(池田義行)
池田さん
俺にも言わせろよ!
富良野 今 利一
2020年代に入り、ますます地球の温暖化の影響が増しているような気がしてならない。別に私が有機栽培をしているからこんな事を大上段に構えて言うわけじゃないが、このところの農業の変化を地方の農業予算から見ていると、環境を度外視して儲かれば良いという方向にしか見えない予算の付け方である。
まずは、自動運転のトラクターに対する補助、ドローンに対する補助、自動換気システムの補助、大型畜産に対する補助、それから自分自身の農協に対する補助。今や農協なんかは「相互扶助」などという言葉は心の片隅にもない! 全てが「儲かる」かどうか。
光センサーを使って糖度の高いもの、形が良い物が選別される(昨年、こうして捨てられたスイカを食べた―スイカってこんなにもおいしいものかと感じた)。スイカばかりではなく全て作物を、私が農協に売った土地に捨てに来る、それが堆肥になる。
これからは、こうした何も配慮しない農業が通用する時代なのか、農業とはいえ目を疑うしかないが、農協はこうした先端農業へまっしぐら。
2030年、温暖化の影響がさらに拡大すると予測される。
2021年3月4日。朝から降り続く昨夜からの雪。外を見ると屋根に積もった雪が20cmくらいと判断、「まぁいいか」。少し経った後外へ出ると、半端な雪ではなく30cmは超える。その雪が重たい。このままでは大変な事になると、朝から除雪機の付いたトラクターを出し、ハウスの周りの除雪。7時半頃から初めて終わったのが昼近い11時。しんしんと降る雪。妻が物差し持って雪を計りに行くと、何とまた20 cmを超える雪。昼から再び除雪。ようやく雪が小ぶりになったのが午後の5時過ぎ。
この雪で200棟以上のビニールハウスや牛舎を雪の下にしたという。異常気象がした仕事に、人間の無力さを感じた1日だった。
今さん夫妻
Copyright © 関西よつ葉連絡会 2005 All Rights Reserved.