震災・原発事故から10年
原発社会からの離脱を「フクシマ」を忘れない
東日本大震災と福島原発事故から10年となる3月を新型コロナウイルスの感染拡大のなかで迎えることになりました。そして背後では気候危機が着実に進行しています。災害はもはや、いつでも起こりうると考えなければならないのかもしれません。避けては通れない災害とともに生きるすべを身につけようとするとき、私たちは繰り返し「フクシマ」の教訓に立ち返る必要があるのではないでしょうか。1面と2面を「震災・原発特集」とし、3・11から10年にあたっての思いと現地報告を各地から寄せてもらいました。(編集部・下村俊彦)
10年で事故は終わらない
武藤類子(福島原発告訴団団長)
福島では原発事故の10年での幕引きをねらって、さまざまなことが行われている。
莫大な復興予算を投じ、いかに福島が復興してきたかを宣伝する事業や施設の建設が進められている。「イノベーション・コースト構想」として、陸海空で活躍するロボットの研究をするロボットテストワールド、伝承すべきことがされていないと批判が出ている「東日本大震災・原発災害伝承館」やアメリカのハンフォードをモデルとする「国際教育研究拠点」、山を崩し造られるメガソーラーや大規模風車などが事故の避難区域であった地域を全く違う町や村へと作り変えようとしている。
その陰では、ALPS処理汚染水の海洋放出計画、除染で集められた土の全国での再利用計画、除染なしの避難解除、公営住宅に避難した避難者を追い出すための2倍家賃請求や提訴、汚染された樹木を燃やす木質バイオマス発電、甲状腺検査の縮小などの問題が山積している。福島第一原発2号機と3号機の原子炉格納容器の蓋付は誰も近づくことができない高線量と分かった。実は廃炉の最終形などまだ何も決まっていない。廃炉への道ははるかに遠い。被害者が本当に望む復興とは何だろう。
10年で原発事故は終わらない。11年後も12年後も、もしかしたら100年後も。それが原発事故だ。どんなに時間がかかっても、どんなに困難でもこれからの世代のために私たちはこの事故の後始末をしなければならない。今年は東電刑事裁判の控訴審が開かれる予定だ。私も頑張ってこの事故の責任追及をしていきたい。
今からの時代には新型コロナ感染拡大というさらなる困難が加わり、気候変動による激甚災害も予想される。あらゆる生命の住処であるこの地球を何とか保っていくために、エネルギーの使い方、暮らし方、生き方を省みて、心してこれからの道を歩んでいかなくてはならない。最後にゲイリー・スナイダーの詩の一節を紹介したい。
「迫り来る峰々に登る時君に君たちに そして君たちの子どもらに贈るひとこと
離れ離れにならずに 花々を学び 花々の道を装い軽く歩いてゆけよ」

田んぼに置かれたフレコンバッグ
(葛尾村 2020.3.22 撮影:佐藤真弥 武藤類子さん提供)
「消費地元」で原発離れを
中嶌哲演(原発設置反対小浜市民の会/明通寺住職)
「狼が来たぞー!」と森から走り出てきた少年のように、平和な風車を悪魔とみなして挑んだドン・キホーテのように、嘘つき呼ばわりされたり、嘲笑されたりする日の方を、私はむしろ願っていました。しかし、「フクシマ」は、森に凶暴な狼が住んでいること、平和な風車に悪魔がひそんでいたことを余りにも赤裸々に実証したのではなかったでしょうか。
「五重の壁」で守られているから、事故時でも「止め、冷やし、閉じ込め」られるから―という「安全神話」の完全崩壊を何度でも再確認する必要がありましょう。
原発に無関心で、理数系の劣等生だった半世紀前の私に、「100万キロワットの原発の1年稼働で広島原爆1000発分の死の灰が生成され、蓄積する」という簡明な知識が飛び込んできました。だからこそ、五重の壁が必要であり、人口稠密な大都市圏には火力発電所のようには立地できず、立地を受け入れる過疎地の自治体などには巨額の麻薬的な札束が乱舞するのだ―と納得して以来、私は一度もブレずにいられたと思います。
福島原発10基から関東首都圏へ送電され、わが若狭の関西電力の原発11基から関西圏へ送電されていた明白な事実に、「立地地元」だけでなく、「消費地元」も再認識を深めたいものです。さもないと、老朽原発の稼働再開すら危惧される今日、もろともに「被害地元」と化しかねません。
関電の原発マネー不正還流に対する3300余名の告発運動、老朽原発うごかすな!の大集会・デモ(コロナ禍下で1600名結集)、大阪地裁の大飯原発設置許可取り消しの判決、関電の顧客(小口電力消費者)離れ(約1300万件中すでに380万件も)など、若狭・福井と連帯する関西の市民の声と行動に、大いに励まされています。
福島10年を心に刻む各府県の集会の盛会と、原発ゼロへの前進を祈念しつつ、合掌。