製造に妥協なし 枕崎産かつお節
丸 俊
鹿児島県鹿児島市:かつお本枯血合抜き削り、かつおスライスなど
丸俊は1961年、鹿児島市内のかつお節・海産物の小売店から創業しました。お客さまと直接向き合い、対話を重ねていくなかで、〝品質のいい物を食べていただきたい〟との想いがより強くなっていき、日本有数のかつお生産地「枕崎」に生産拠点を設け、原料の買い付けから加工まで一貫して行うようになりました。
枕崎産のかつお節は製法伝来300年を超え、その歴史は深く専門的な世界でもあります。また、かつお節は日本古来の調味料とも言われ、和食はもちろん、幅広い料理と相性がよく、日本の食文化には欠かせない食材です。その香りや旨みを感じると、ほっと落ち着くものです。そして今や世界的にも〝日本のだし〟として認められる時代となりました。
かつおのポテンシャルを引き出し、かつお商品へとつなげられるのは、私たちかつお節屋だからこそ。熟練された目利きで素材を厳選し、製造には一切の妥協はありません。枕崎産かつお節に誇りを持ち、皆さまにもこの素晴らしさをぜひ知っていただきたいと思っております。
私たちは「伝統から生まれる本物のおいしさを」をモットーに自然の恵みに感謝しながら、かつお節・削り節・かつお佃煮・珍味など、さまざまなニーズにあった、もちろん自分たちも自信を持ってお届けできる商品づくりに日々努めています。
これからも皆さまの食卓で喜ばれるようなかつおのおいしさをお届けし、健康で豊かな食文化に貢献してまいります。
(渡邊洋平)
丸俊の職人たち
(松本武徳)
ホタテ収穫のようす
(竹並寛子)
練り物の揚げ工程
(北見英輝)
後列右端が北見さん
(庄司小右衛門)
左から二人目が庄司さん
改めて「地場野菜」について
アグロス胡麻郷 橋本 昭
日本国の近代化が江戸期の始動を含めて150年余、農業もスマート農業に至るまで随分な進化を遂げてきた。その渦中、環境汚染の問題から農薬が問題となり、「環境と食の安全」の面から、どちらかと言うと環境という公共性より個人のエゴに直結する安全性に関する知識が「イヤーねえ」という感覚的拒否を原理に広がり、今や「安全・安心」という対語と「無農薬」という言葉が普及、普遍化するに至った。
一方「有機農業推進法」なる法律が議員立法で制定され、JAS有機の基準が決められ制度化された。さらに野放しに近かった農薬の施用基準なども複雑で困難で不明で不確実な基準でありながら、その筋の人々は今やバイブル的基準として位置づけしかけている。
専業の農家は、国やJAの言う規模拡大、機械化と化学肥料多投、農薬多投による売上向上・生産性向上・効率重視の近代化の基本要素を踏襲する体系に至る路線を主体的にではなく持続するには止む無く受け入れざるを得ず、今日においてはもはや高齢化し、その不良・不安定な経営の中、農地所有と借金がゆえにやめるにやめられぬ持続が、少なからぬ農家数に含まれている塩梅ではなかろうか。
これらの農業(のうごうと呼んだほうが意が通りそうに思われるのだが)に対して農産物を作ることが命の営みであり、自然循環の中でのヒトの在り方として自負する一握りの変わり者農家が、JAS有機に合流し今日をつないでいただいている。
近代派農業であれ、有機農業派であれ、少なくとも耕種農業は特殊を除いて近代経営は困難である(近代経営は工業を舞台とする観念・概念であると考えるからである)。少し茶化して言えば、日本国を支える(はずの)農業という檜舞台では農薬危険の運動の結果、以前に比べればやや少ない農薬と化学肥料と機械化はますます進み、スマート化によって農家に仕事が減り、結果機械屋、肥料屋に金は回り、農家から農業が離れて機械・肥料屋に移り、農民は「整理をして、死なぬ程度に生かしておけ」の政治となり、田舎の「高齢過疎」は自然現象であるようなキャンペーンさえ張られる始末。そしてインテリは問題の解決は「ムズカシイ」と言う。
僕には極めて簡単に見える。「食料自給率目標を80%にする」を政策とし、貿易・外交を展開すれば自ずと治まると思うのですが。そして小さな地場流通と大きな国内流通によって日本国の食料と農業が循環維持する。「食足りて礼節を知る」。僕は儒者ではありませんが普通にそう思います。効率・合理性を問う前に理念・ビジョンを問わないと「皆共に穴に落ちん」となるのではないでしょうか?
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