鮮魚の産直は順調に進みました。鮮魚パックの宅配は月1回か2カ月に1回かそんなものだったと思いますが、当時のよつ葉は各地にたくさんお店を持っていて、そこで売りました。津田政己さんがほぼ毎週の金曜日に錦港へ出かけて民宿に泊まり、翌朝のセリで阪口さんが買い付けて津田さんの保冷車に積み込み大阪へトンボ帰りしていました。お店のスタッフにもお客さんにも、その日にとれた魚が並ぶのですから大好評でした。
一方、地元の加工業者の糸銀さんに依頼した塩干物はうまくいきませんでした。“サバの生き腐れ”という言葉があるように、背の青い魚は足が早く、干物にするだけでは長く持たなくて、たっぷりの塩と、そして保存料を必要とします。錦は熊野灘に面していますから、アジ、サバ、イワシ、ハマチなどいずれも足の早い魚ばかりです。私たちの「塩はうんと薄くして、保存料はなしで、冷凍品にしてほしい」という要求は糸銀さんにとってはとんでもないことだったのだと、今になってそう思います。全くの別ものを作るのですから、さばいた魚をつける塩水は別にしなければならないし、作ったものを冷凍保存しなければならないし、あの頃は今より全然会員さんが少なかったですから、それでいてたいした売上につながらないし、糸銀さんに断られてしまいました。
そこで阪口さんが自宅を改造して作業場と魚を干す所を作って、漁師との兼業で塩干物作りをやってくれました。ウデの立つ漁師ですから必ずしも本意ではなかったかもしれませんが、津田さんが「反原発は中部電力だけが相手やない。国を相手の闘いなんだから、こちらもずっと続けられる体力を作らなあかん」と説得しました。津田さんにすれば、浜坂原発計画をつぶした闘いの中から生まれた、日本海の塩干物(カレイやハタハタの一夜干し、覚えてますか。おいしかったですね)産直の経験があったからです。
阪口さんは時々「陸にあがったカッパ」と自分の事を言うときがあります。漁師との兼業で手を付けた塩干物の仕事は、よつ葉だけでなく、使い捨て時代を考える会、オルターなど、他の生協にも広がり、兼業すらできなくなって、芦浜産直出荷組合を設立し「本業」として引き受けてくれました。
『Life』100号の表紙で、お父さんの志を継いでくれた長男の明志くんが「ここで魚屋を続けることが原発反対の声になる」と語っています。背景の芦浜の土地は今でも中電の所有です。
人生100年
上野デイハウスしもつき
2020年2月。国の推計によるとひきこもりの人は54万人。しかし、これは39歳以下の人数に限っての数字であり、40歳以上の人を含めると100万人以上と推計する専門家もいて、「ひきこもり」の長期・高齢化が深刻化しているという。ひきこもりの定義は・自室からほとんどでない・自室からは出るが家からは出ない・普段は家にいるが、近所のコンビニなどには出かける・普段は家にいるが、自分の趣味に関する用事の時だけ外出するという状態が、6カ月以上続いていることとされている。実は私の家族にも一人いて、医療機関や支援機関に相談しながら何とか暮らしている。
ひきこもりになる原因は人それぞれ。学校や仕事での出来事、対人関係や家族関係のもつれなどから心が壊れる。何とかしなくてはと思うけど、不安と焦りでなかなか抜け出すことが難しくなる。ひとつの解決策として「自分は価値のある人間」「頼りにされている」「役にたっている」とまわりから認められ、社会の中に居場所ができて、何でもいいから自信をもつことだが、そう簡単な事ではない。時間はかかるけど何とか快方に向かっていきたい。
(よつば農産・笹川浩子)
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