北海道の大自然で育まれた牛乳を皆さまに
よつ葉乳業 北海道札幌市:牛乳、乳製品など
よつ葉乳業では「搾りたての風味そのままの牛乳が欲しい」という消費者からの要望に応え、1987年に72℃15秒殺菌のHTST牛乳を、1991年にノンホモ牛乳を開発。その後も継続的な国産飼料自給率の向上に取り組んできました。
北海道十勝は冷涼・低温な気候で良質な牧草を育む肥沃な大地が広がっております。共同購入向け牛乳はいずれも、よつ葉乳業が指定した「非遺伝子組み換え飼料」にこだわって乳牛を育てている、北海道十勝管内の酪農家13戸が出荷した生乳だけを使い製造しています。
今回、一般社団法人 日本草地畜産種子協会の「放牧畜産実践牧場」として認証された、北海道十勝の忠類地区の2戸の酪農家の方々をご紹介させていただきます。
【石黒牧場】
自然に近い牛乳を季節と共に
最近は地震・台風などの自然災害が多く発生しています。被災された方々に心より御見舞い申し上げます。また、2年前の胆振東部地震のブラックアウトの際には、多くの方々より、ご心配、ご支援を賜り、この場をお借りし御礼申し上げます。
さて私たちは、北海道十勝幕別町忠類地区にて、よつ葉放牧生産者指定ノンホモ牛乳を生産しています。放牧は、5月上旬に始まり、牛たちは青草を主食とし生乳を生産します。その頃の牛乳は、黄色いクリーム色で、少し若草の香りがしてさっぱりとした味わいになり、皆さんも放牧の始まりを実感されることと思います。5月下旬頃から10月には昼間だけの放牧になり、少しずつ乾牧草を食べるようになります。11月には終牧となり、乾牧草を飽食させます。冬場の牛乳は放牧期の牛乳より白い色になり、乳脂肪などの乳成分が増えるので、消費者の皆さんには濃いと感じられると思います。
このように私たちは、安心・安全で、より自然に近い牛乳を皆さんにお届けできるよう、今後も取り組んでまいります。これからも、よろしくお願いします。
(石黒和彦)
【内藤農場】
心を人から人へ届けてゆけば
我が家が、岐阜から北海道へ開拓団として来道して私で3世代目。始めは、原野に分け入り、飲み水を探しておのおのが適地だと思う所に家を建て、大人が手を回しても届かない大きな木を切り、人、馬が一体となって抜根をくり返し、苦労の末に耕作地を作り出してきたのです。今の機械化した時代には考えられない苦労と時間をかけ生み出してくださったご先祖さまがたに感謝しかありません。
先祖の魂を胸に抱きながら、今では50頭のホルスタインを飼うまでに発展してきました。
大切な思いを、100年後も今ある佇まい、風景を守っていくのが使命のような気がします。
訪れる人に変わらず昔のままだと安心していただける懐かしさを持っていただくには、多くの酪農サポーターを増やす必要があります。酪農家、よつ葉は、皆さまの力が大切だと感じています。最後にご愛飲に感謝申し上げます。
(内藤康広)
独自のブレンド技術で花粉対策茶を開発
中郷屋 福島県郡山市:杉檜茶
中郷屋は、今年で創業130年目を迎えます。先代から培われてきた、独自のブレンド技術を受け継ぎ、伝統を守りつつ、時代のニーズを捉え、オリジナリティーのあるお茶などを日々思案しております。
私たちのオリジナル花粉対策茶シリーズは20年もの間、試行錯誤を繰り返し、毎年改良を加えてきました。その中の一つである〝杉檜茶〟は、林業の方から教えていただいた、先人の知恵が開発のきっかけとなっています。それは「昔から、春山に入る山師は、その杉を煎じて飲んだ」です。そこから、ティーバッグや350㎖のドリンクタイプ、そして杉檜茶の抽出液を使用した飴も開発しました。
他にも一年を通してそれぞれの花粉に対応した、カモガヤ茶、ブタクサ茶、イヌムギ茶、背高泡立草茶、ススキ茶、白樺茶、桜葉茶などもあり、原料は、すべて国産品。また、産地証明書、放射能検査結果報告書、成分分析表は中郷屋HPに掲載しております。ほうじ茶にブレンドすることで、飲みやすさもあります。
さまざまな理由で、杉檜茶はじめ、花粉対策茶シリーズは、絶対に効くとは言うことができません。しかし、飲んでいただいている方々の多くから、「楽になる」「買ってよかった」「毎年続けて買っている」といったうれしいお声をいただいていていることも事実です。薬という役割ではなく、ひとつの「お茶」として楽しんでいただきながら、花粉対策にもつながっていけばと思っております。
これからも、中郷屋は、お茶をもっと身近に、そしてお茶を楽しむ心を伝えられる唯一無二のお茶の開発に挑戦し続けてまいります。
(菊池夏帆)
天草の自然とともに
佐伊津有機農法研究会 熊本県天草市:きゅうり・ミニトマト
私が住んでいる天草市は、熊本県の西側に位置し、夏は台風の影響が多いものの冬場は温暖な気候により多くの野菜類・柑橘類が栽培されています。その中でも私は、21年前に、佐伊津有農研に加入し「きゅうり」を栽培して、よつ葉に出荷させていただいています。
以前は、別の品目を一般栽培し市場へ出荷していましたが、「価格が不安定でこのままでは農業経営が続けられない状態」が続き、「離農」を考え、就職先を探すような日々でした。
そのような時、当時先に有農研に加入していた知人に紹介され、「産直で安定した取引先がある」「もう一度農業をやってみないか」という誘いがあり、父の勧めもあり、今に至っています。
以前の一般栽培では、「いかに綺麗で、収穫量を多くする栽培」で肥料・農薬を多用していましたが、佐伊津有農研では、すべての品目に「個人名を入れたシール」を貼り、出荷するため、「いかに安全でおいしい作物を出荷するか」生産者個人の責任になります。
近年、異常気象が続き栽培もやり難くなっていますが、今後も「安全でおいしい」に加え、「安定した出荷」にも心掛け、栽培したいと思っています。今後も理解していただける消費者の方に感謝し、期待に応えられるような農家を目指したいと思います。幸い、長男も農大を卒業し、地元に就職しましたので「将来は一緒に農業ができれば」と思っています。
(鬼塚猛信)
鬼塚さんのきゅうり
人生の選択!!
長有研 長崎県南島原市:アスパラ・スナップエンドウ・玉ねぎ・じゃが芋・トマト
私は7年前、人生で一番大きな選択をし、農業を始めました。農家の子でありながら、農業は嫌いでした。父、近藤正明は自分の畑を営みながら、長有研の経営者としても忙しくしており、寂しかったことしか覚えていません。そんな環境で育った私は、もちろん農家を目指すこともなく就職し、家庭を持ち子どもが生まれたら自分と同じ思いをさせたくないと考えていました。
しかし、社会人として働き始めてしばらく、ふと仕事に疑問を感じていたとき、仕事で出会った農家の人たちが自分の好きなようにしがらみもなく仕事をしている姿を目にして、とても魅力を感じました。そのタイミングで父から「将来は帰ってこないのか?」の一言。そう言われると、少しうれしくもあり決断しました。
農業をすると決意したものの、初めてのことばかり。父とは違う作物のアスパラ生産に着手したのですが、長有研の栽培基準は厳しく、県内に農薬削減のモデルとなる農業生産者もおらず、無謀な挑戦となり、最初の3年間は散々な結果でした。
ひとり農業に限界を感じ、一番信頼できる友人を農業に誘いました。今では4人で農業をおこない、自慢のおいしいアスパラ栽培はもとより、農業の魅力と可能性を共感できる人がいてくれることが一番の誇りです。目指す将来を共有でき、おいしく安全な野菜を消費者の皆さまにお届けすること。この喜びを共感できる仲間を増やすことが、私の生きる道になると確信しています。答えを出すのはまだ早いですが、「なぜ父は家庭に目もくれず仕事に没頭したのか?」という子どもの頃の疑問は、自分なりの答えになっていくように思えます。
(近藤慎二)
近藤さんのアスパラ
台風災害と正消のきずな
新農業研究会 今井正一
当研究会は、前身の電子農業を含めると発足してから40年以上がたつ。今も思い起こされるのが、りんご台風といわれた1991年の台風19号のことである。
9月26日早朝に最接近した台風は県内の津軽地方を直撃、縦断して大きな爪痕を残して去った。当時は合併前の平賀町で、最大の被害となった。時期的にも早生種の「つがる」だけが収穫を終えただけで、大半の品種がりんごの樹に成ったままだった。そのりんごが風速40m、瞬間的には60mともいわれる強風にさらされ、当時の代表原田さんの畑では90%以上の落果。残ったりんごも傷物になり、製品が少しだけと壊滅的ともいえる被害を受けた。当時、取引のあった相手先の代表の方たちに産地の惨状を見に来てもらって応援を受け、まだ収穫に早い落下したりんごを「台風りんご」として企画してもらい、傷んだりんごはジュース・ジャムに加工して注文を受けた。そのほかにも義援金や励ましをいただいた。この時ほど、産直提携と顔の見える関係のきずなを感じたことはなかった。
あれから30年近くなるが、近年は頻発する災害が国難に値するほどの甚大で広範な規模で起こっている。災害は世界規模で起こり、異常高温や干ばつ洪水等々、人間の生命や財産を脅かしている。世界的なネットワークが形成されている現代では、その影響に無関心を装うことはできないほどの影響を受けることもある。現在も進行中といわれるオーストラリアの大規模火災。アマゾンやカリフォルニア地方、シベリア……。炭酸ガスを吸収する森林の消失によって、現在のままの生産活動や生活を続けていけば、加速度的に温暖化が進むといわれる。地球規模での環境を考慮する行動を起こさなければ、人類の未来はないといわれる深刻なものである。
昨年も列島を直撃した台風が東日本を中心に悲惨な爪痕を残した。奇しくも因縁の19号、青森県にも接近したが太平洋側に抜け、当会の津軽地方は直撃を免れた。会員の一部は落果、樹上損傷が20%の人もあったが、そのほかの人は10%未満の軽微な被害であった。その見舞いにと12月、よつ葉連絡会の田中事務局長と津田政巳さんが、会員さんからの見舞金を持参してくれたのである。
当初、被害の大きい会員に手厚くし、残りを平等にと考えていた。本人の辞退もあり、若い世代の会員からの「見舞金をりんご苗木の購入費に充当し、そのりんごが収穫できた時点でよつ葉に出荷したらいいのではないか」という提案に全員賛成。無くなった「北斗」に代わる新品種「ぐんま名月」の苗木を見舞金で購入する、ということに決定した。
よつ葉の皆さんの心遣いに感謝するとともに、若い人たちの想いに、当会はまだ大丈夫だと確信した。改めて生産者と消費者の顔の見える信頼関係の大切さを実感している。
りんごが成るのは5年後くらい、今後とも末永くよろしくお願いいたします。
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