オンリーワンのキノコをめざす
長根商店 岩手県九戸郡:無添加きのこ汁の具など
岩手県北沿岸地域は真夏でも「やませ」が発生すると一気に10度台の温度に下がります。その寒暖差と適度な湿度でおいしいキノコが育ち、昔から産地でした。秋期になると地域の人は近隣の山に出かけキノコ穫りをする。これが楽しみでもあり生業でもあります。
しかし9年前の東日本大震災の津波被害で倉庫を流され、年間分のキノコ原料を流失し、立て続けに風評被害の悪影響を受けて私たちはもちろんですが、生業として生活してきた住民の方々も打撃を受け、毎日「どうすれば良いのか」、途方に暮れたのを覚えています。
その事がきっかけで新たに栽培事業に着手しました。コンセプトは「安心安全なキノコを作ろう」「他には無い希少価値の高いキノコを作ろう」と思い「三陸あわびたけ」(商標登録)の開発販売を行いました。一般的なキノコ栽培用菌床ブロックとは異なり、独自の製法、地域の食材(三陸あわびの殻の粉末など)で有機農法にこだわって作り、菌も自社で培養増殖を繰り返し作り上げた結果、旨み成分や機能性成分が極めて高いキノコに仕上がりました。
また、このキノコを皮切りに人工栽培が難しいと言われている希少価値の高いキノコ栽培に本格的に着手するため、クラウドファンディングを使わせていただき、たくさんの方々からご協力をいただきながら、ただ今継続中です。同時に商品のクオリティーアップのため、原料の保管方法から細菌検査まで自社で行うシステムを構築しました。
これからも価値あるキノコを「安心・安全・おいしく・リーズナブル」にお届けできるように、オンリーワンをめざし努力してまいります。
(長根繁男)
風土に根ざした麺づくり
古舘製麺所 岩手県九戸郡:だったんそばなど
岩手県の北端、青森県との県境に位置する軽米町は、冬は氷点下10度を下回る日が続き、夏でも太平洋からの冷たい季節風が吹く厳しい気候の地域です。平坦な土地が少なく稲作に適していないこともあり、有史以来何度も冷害による悲劇的な飢饉に見舞われてきました。そんな中、稗や粟・蕎麦などの比較的土質を選ばず肥料も少なくて済み冷害にも強い雑穀栽培が盛んになったのも必然だったのかもしれません。
古舘製麺所はこの地に1909年に創業し、以来地元農家の方々と協力し、地場の原材料を使用した麺づくりをしています。また過去の凶作を教訓に常にこの地に合う新たな作物づくりも模索しており、アンデス原産のアマランサスや皆さまにもご愛顧いただいている「韃靼そば」などもその一つです。
岩手大学の教授が1985年にモンゴルから16粒の種子を持ち帰り、軽米町で栽培を始めた「韃靼そば」は、もともとモンゴルやヒマラヤの民が日常食としていたそばで日本そばの「甘そば」に対しその独特の苦みにより「苦そば」とも言われています。日本では、ポリフェノールの一種「ルチン」が日本そばに比べ100倍以上と非常に多く含まれていることから注目されました。
栽培当初は苦みが強く日本人の味覚に合わないのではと言われましたが、独自の国産そば粉・国産小麦粉との配合によりそば好きの方でも納得できる味に仕上げてありますので、ぜひご賞味ください。
東日本大震災から9年、それ以後も災害は大規模化・広域化し、気候変動も大きくなってきています。今こそ先人の知恵を活かした省エネルギーで持続可能な食生活・社会活動へ進化すべき時だと感じます。
(古舘 拓)
地元の素材を使った伝統の麺づくり
ものづくりの歴史を守る
木村商店 岩手県下閉伊郡:さんま寿司など
東日本大震災で工場と売店を流され、今は海から10㎞以上奥に入ったところで水産加工業をしております。復興が進んで、街から海が見えなくなったり、漁獲高が極端に減ったことによる原料価格の高騰が悩みどころ。いか徳利、いかの塩辛、さんまやさばの加工品など、近海でとれる魚をあつかう私たちにとって、この現状を克服しなければ先が見えないと思っています。防腐剤や化学調味料を使用せず、オリジナルのだし汁で味を整え、素材を味わえるおふくろの味は今までと変わらず、現在は漁獲が少ないので、農産物と合わせることを考えながら、もったいない精神を前面に、昔の製法に今を取り入れています。
さんまであれば、脂のあるさんまと契約栽培の低アミロース米のご飯でつくった棒寿司。2日間かけて取るだし汁に酢やみりんで味付けし、青魚特有の生臭さを消すため、2日目、3日目と漬替えをしたり、4日以上の漬け込み後、棒寿司に仕上げ、冷凍して皆さまにお届けします。
先日のコンクールでは水産庁長官賞をいただいた、ぬか漬けさんまは、精米所であふれる糠で糠床をつくり、さんまを数日漬けると糠のコク、だしの旨み、果実の香りが一夜干しのさんまに染み込み、おいしい焼魚に。昔ほど糠が重宝されない今、もったいないで始まった昔ながらの糠漬に光が当たりました。しかも、地元・山田湾のカキ入りクリームコロッケも特別賞をいただきました。どれも手間暇はかかりますが、食べた方々の笑顔が私たちの何よりの励みです。
110年以上続く、木村商店のものづくりを守り育てる意義を考えながら、悪戦苦闘している日々です。
(木村トシ)
木村商店工場
支え合える仲間を増やしたい
しまなみ耕作会 広島県尾道市:瀬戸田のレモンなど
しまなみ耕作会は広島県の瀬戸内海に浮かぶ生口島・瀬戸田町というところでレモンやみかんなどの柑橘類の生産をしているグループです。
しまなみ耕作会の生産者年齢は、下は39歳から上は88歳までと幅は広いのですが、平均年齢73歳でほぼ高齢者ばかりです。今までは生産者が自宅で柑橘を選別して集荷場に持ってきて箱詰めという流れだったのですが、体力的なものであったり、病気になって入院だったりと思うようにできなくなることが多く、私が家まで引き取りに行き、こちらで選別をすることが多くなってきました。
一般的な青果会社だと、もちろんそれは有料になってしまうのですが、島でも数少ない仲間だからこそ協力して支え合っています。モノとカネの関係ではなく、人と人の関係を大事にしてきたグループなので、そういったことが異論なく簡単にできます。
そのような活動の成果か、最近では普通栽培をしている農家のなかに有機肥料を使った減農薬栽培に切り替えたら仲間に入れてもらえないかという相談に来る農家も出てきました。島に減農薬栽培農家を増やすということも私たちの目標でもあり、うれしい相談です。
しかし、普通栽培から減農薬栽培に切り替えるのは簡単なようでかなりの時間と労力を必要とします。農薬を減らしたり、有機肥料に切り替えたりということはすぐにできますが、土づくりは1年や2年でできるものではなく長い年月がかかります。そんな大変なことも協力できる仲間を増やして、安心・安全な柑橘づくりを島のみんなでできるよう頑張っています。
(能勢賢太郎)
右端が能勢さん
憧れられる職業となるように
福島・中村さん 福島県郡山市:米
私は父の頃より、この農業を引き継いで丸3年が経過しました。自分の中で、仕事の流れをある程度、確立しつつあると思っていました。しかし、今年はどの圃場も同じように管理したつもりでしたが、良くできた圃場とそうでない圃場の差が大きく出てしまった年でありました。
有機栽培を行った上で、平均してある程度の収量を確保することは、大変難しいことであると改めて思い知らされた年でもありました。
食味は、平年並であり、今後もこれまで以上に食味向上を頭に入れながら、作業していきたいと思います。
近年は、気候の変化が極端であり、とても読みづらく予想しづらくなってきています。昨年も福島県では稲刈りの真っただ中の10月に大型台風が上陸するなど、今まででは考えられない天気が続きました。
私たちは、大きく天候に左右されやすい職業であることは間違いありません。そのような中でも、安心、安全はもちろんのこと、なおかつ、おいしい農産物を消費者の皆さまに安定して提供できるような農家を目指します。また、将来、同年代やもっと若い世代から憧れられるような職業となるよう、微力ながら、これからも頑張ります。
(中村直己)
四十五年目の正月
熊野出会いの里 麻野 吉男
久方ぶりに正月から畑に出る。私はもともと出身は大阪で、大阪時代は正月から畑に出ることが多かった。しかし、今私のいる奥熊野にはそんな耕地も市場もないし、そんな働きものの百姓もめったにいない。
考えてみれば、百姓歴四十五年。大阪時代と熊野時代は約半々だ。大阪時代は自分でもあきれるほどよく働いた。
そういえば百姓二年目、正月から畑に出た。もちろん畑には私一人。正月の真新しい空気を胸いっぱい吸い込んで、こんな快楽、こんな幸せあろうかと思った。まるで天国に住んでいるような気分だった。白菜やキャベツの葉っぱ一枚一枚がいとおしかった。
背広や革靴は窮屈そうで、昔から嫌だった。普通派、多数派というのも趣味に合わなかった。そこで就職試験は受けず、卒業すると実家に帰って、家庭教師やら塾の教師やらをしていた。昼間は時間がたっぷりあるので、もう数年もほったらかしにされた草ぼうぼうの我が家の田畑を耕した。もともと子どもの時から土いじりが好きで、たちまち相思相愛。この頃は大地に恋をしていた。
最初、百姓の方が趣味だったが、すぐに逆転した。自分が求めていた世界にやっと出会えたのだ。多少の決心は要ったが、決心と同時に本とペンを鋤と鍬に持ちかえた。当然のことながら「就職おめでとう」と言ってくれる人はいなかったし、近所の先輩百姓には「学士様に百姓が務まるくらいなら、町内一周逆立ちで歩いたろやないけ」と言われ、同級生の専業農家の息子には「お前気は確かか」と言われた。
昨日も今日も、農業に対する評価はまぁだいたいそんなところ。「それでも家の前の小さな露店が売れに売れまくり、新幹線で買いにくる人もいるそうな」。噂話だからあてにはならないが。まるでついこの間のことのようだ。残された百姓生活を大切にしよう。
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