
原発のない未来のために
「フクシマ」を忘れない
あれから9年目の3・11を、「復興五輪」が声高に叫ばれる中で迎えることになりました。収束のめどさえたたないまま、原発事故という人災がなかったことにされようとしています。だからこそ私たちは「フクシマ」を繰り返さないために、今も続く被災者の苦難をしっかり胸に刻んでおかなくてはなりません。1面は、福島第一原発立地自治体の大熊町で議員として活動してこられた木幡ますみさんと宮城県石巻市で被災された武藤北斗さんによる報告、7面「視点・論点」は、京都大学の今中哲二さんに解説記事をお願いしました。(編集部・下村)
私たちは国家の下部ではない
福島県大熊町議会議員 木幡ますみ
震災そして原発事故からもうすぐ9年が経とうとしている。初めは帰りたいと言っていた住民たちは、放射能で汚染されていても、除染をしてもらえば生活ができるようになるだろうと本当に思っていた。
しかし実際に自宅の解体除染作業をしていくなかで自分たちの住んでいた景色が消え、帰る気持ちが薄らいでいく。辺りには何も無い。喪失感だけが残り、乾いた土地を後にし、避難地域に建てた家々や復興住宅に戻る。なかには帰れないことに生きる希望を失い、これ以上知らない土地では暮らせないと自死された方々も出た。
先日テレビで大熊町の住民の60%は帰還しない。28%は帰還するかしないか考えている。残りの12%はもうすでに大熊町に帰還していると報道された。確かに帰還されているが、ほとんどは70歳以上の方々。
さらに病院はというと、富岡町に個人医院や福島県が設置した医療センターがあり、常時開設されているが、大熊町には全くと言っていいほど医師が来てくれるという話はない。もし病気になり病院にとなると隣町の富岡町に行くか、いわき市や南相馬市まで行かなければならない。
また既に避難指示が解除された大川原地区において、放射線量が低いのは新庁舎やその周辺の復興住宅、賃貸住宅がある周辺だけである。大川原地区の山々に近い地域の空間線量は1から10ミリシーベルトある。つまり完全に震災、事故以前のようにはなってはいない。帰還困難区域について国は何も語らないし、しようともしない。
電車を通すために大熊町の大野駅(写真)やその周辺地域の避難指示を3月5日に解除するとマスコミを使い大々的に報道したが、実際には大丈夫なのかと危惧されている。建物は朽ち果て除染はされず荒れた状態である。私は国に、なぜこのようなありさまで解除するか。建物を解体除染して更地にしてから、既に解除されている大川原地区と同じようにしなければ解除はないと言ったが全く聞き入れてもらえなかった。
そればかりか国は「解除してから除染します」と言い放ち、10ミリシーベルト以上でも別に体には害はない。何が何でも解除するとの一点張りであった。この国の政治は何なんだ。そこにこれから住むかもしれない人々については一切考えていない。オリンピックの前に何が何でも電車を通すことが先決。この国の政治はかなりおかしい。
私たち原発避難民は政府与党、官僚たちの下部ではない。このような暴挙を許すわけにはいかない。闘いはこれからも続くでしょう。

オリンピック開催を控え運転再開ありきで避難指示が解除される
大熊町のJR常磐線・大野駅周辺。
福島第一原発から3㎞しか離れていない。
今を必死に生きる人たちを忘れずに
パプアニューギニア海産 武藤北斗
震災当時小学4年、幼稚園年長、生後三か月だった子どもたちが、この4月から大学生、高校生、小学4年生になります。私も同じように年を重ねたのでしょうが実感がありません。あまりにも必死な9年だったからでしょうか。
宮城県石巻市で被災した私たちは会社も店も津波に流されました。被災指定地ではない大阪に移転したことで国からの援助は一切なく、二重債務の中なんとか事業を継続してきました。倒産の危機もありましたが、よつ葉の会員さんをはじめ、パプアニューギニア海産のエビを買ってくださる皆さんに幾度となく助けていただきました。
昨年からパプアニューギニア現地のパートナーが1社増え、現在は2社から天然エビを買い付けることが可能になりました。数量なども安定しますので、4月からはこれまで助けていただいた皆さまへの感謝の気持ちを込めて値下げします。助け合う気持ちを忘れずにこれからも頑張りたいと思います。
そして、忘れてならないのは、東日本大震災には福島原発事故という人災が重くのしかかったことです。今なお日本中で当たり前のように原発が再稼働し、さらには青森県大間町には新しい原発の建設が行われています。私には日本中が東日本大震災や福島原発事故を過去のものとしてとらえはじめている証のように思えてなりません。
子どもたちのために、未来のために、もちろんそれはとても大事なことです。ですが今を必死に生きる人たちのことを忘れてはいけないと、政府が東日本大震災に区切りをつけようとしている今、私は思うのです。

能勢と高槻で4月からスタートします。どなたでも参加自由です。詳しくは100号で配布した
チラシをご覧ください。