「よつ葉有機」基準 策定から20年
原点踏まえ 新たな展開の模索を

農産品よつ葉
有機認証マーク
津田道夫(関西よつ葉連絡会)
6月の「よつばの学校」全職員向け講座は「『よつ葉有機』基準と農薬についてのよつ葉の考え方」をテーマとし、同基準起草者の津田さんを講師に迎えました(8月号で報告、HPにバックナンバー)。基準策定から20年。世界は大きく変化し、農業分野ではネオニコ系やグリホサートなどの農薬が問題視されています。変化に向き合い議論を進めるために、よつ葉のこれまでの考え方を生産者や会員のみなさんとも共有しておきたいと考え、あらためて津田さんに紙面での提起をお願いしました。(編集部・下村俊彦)▼7面に農薬関連記事、8面に「よつ葉有機」基準とよつ葉生産者憲章
JAS法改正とよつ葉有機
関西よつ葉連絡会が、「よつ葉有機」という考え方を、会の内部で議論し、全国の関係をむすんできた生産農家の人たちと確認しあったのは2000年4月だった。それから、およそ20年が経っている。きっかけは、政府がJAS法を改正し、JAS有機基準を法制化したことだった。市場流通している野菜の箱に、「有機野菜」という文字が氾濫していた状況を国際基準に合わせる、という目的で実行された法改正は、当時、有機農業運動を積極的に担ってきた人たちからも歓迎されていたように記憶している。
でも、よつ葉の考え方は違っていた。その事業の発端は、北海道のよつ葉牛乳を共同購入する産直運動だったし、やがて全国に広がっていった野菜、果物、米の生産農家との付き合いは、各々の農家が各々の地域で暮らし、各々の自然との付き合い方の中から生まれた農法を、その農家の人間性と一体のものとして尊重しようとするものだった。
農薬使用についても、付き合いを重ねた農家が必要と判断したものは受け入れてきた。もちろんカタログ表示は省農薬。でも、こうして育てられ収穫された農産物は有機農産物だと考えてきた。「有機」という言葉が意味する内容を国が定め、第三者認証機関が検査し使用許可を下すという法改正に強い違和感を覚え、農家の主体性・多様性を脅かしかねないと考え、「よつ葉有機」という、よつ葉の農産物流通の中だけでの有機基準を提案したのはこうした背景があってのことだった。
「地場野菜」という試み
う1つ、同じ時期によつ葉が取り組みを本格化させたのが「よつ葉の地場野菜」という試みだった。農家は誰一人として、一人で農業を営んでいることはない。家族と共に、村の先輩、後輩と共に、そして、なにより先祖から受け継いで来た農地と共に作物を育てている。そんな地域の多様な農家に、地域丸ごとでよつ葉に農産物を出荷してもらい、地域農業の活性化につながればと考えたものだった。その考え方は「よつ葉有機」の考え方と通底しているように思う。
大阪府・能勢町、高槻市・原、堅田地区から始まって、2000年ごろには京都府・日吉町、亀岡市東別院町、合わせて4地区の農家とのお付き合いが始まっていた。いずれの地区も中山間地と称される起伏が多い農村で、既にそのころには、稲作以外の農作物は、ほぼ自家消費になる程度にまで衰退していた地域でもあった。よつ葉の地場野菜企画の広がりに合わせて地域ごとに野菜の集荷組織が生まれ、よつ葉のカタログに地場野菜の単品企画が増え、年2回の作付会議が始まって、各地区の野菜づくりは活気を取り戻していった。
家族が食べる野菜づくりの延長で出荷される野菜の安心感、季節感、鮮度は十分。でも、4地区を合わせると250戸を超える多様な農家からの協同出荷で、品質のバラつきは相当。出荷量と受注量を調整するよつば農産の仕事は困難を極めた。しかし、比較的近い地場の生産地によつ葉の会員に足を運んでもらう機会を積み重ね、農家にもよつ葉のさまざまな交流会に参加してもらって、「よつ葉の地場野菜」は少しずつよつ葉の農産物を象徴する位置を占めるまでになっている。
生・消双方に大きな変化
で、20年が経った。「よつ葉有機」と「よつ葉の地場野菜」が主張する生産農家とよつ葉の会員との人間的関係の実体は、農家側からも会員側からも、その再構築が不可避とならざるを得ないほど、大きな変化に直面しているように思う。
生産側では、世代交代が相当進んだ。よつ葉が交流を重ねた農家の多くで息子、娘世代が農業を担う時代が始まっている。自然環境の変化も含め、農業に対する考え方にも、親世代との間で大きな変化が生まれるのは至極当然のことだ。
地場野菜の生産地区に生じつつある変化は、もっと深刻なものとなっている。最後の砦であった稲作すら、担い手がいなくなって消滅の危機に直面。まして、地元農家で野菜づくりを続ける家は減少の一途をたどる有様だ。そして、その空白を埋めているのが、都会から就農した、比較的若い新規就農者となってきている。
会員側の変化も著しい。まず、都会での生活が、ますます農村、農業との距離の広がりを生み出した。商品としての農作物には精通していても、生産現場の現実に触れる機会はますます少なくなっている。
生命体として作物やそれを育てる土壌が有する自然を実感する機会の少ない消費者にとって、頼りは「表示」や「履歴」とならざるを得ない。これまた、至極当然の変化なのかもしれない。
原点としての関係づくり
では、こうした変化の中で、よつ葉はどのように考え、どのように対応していけばいいのだろうか。誰かに答えを求めるのか。あるいは、とりあえず変化に身をまかせてやりすごすのか。
どちらにしても、「よつ葉有機」「よつ葉の地場野菜」の今後を担っていくのは、現に今、よつ葉の現場を支えている、次世代の人たちとならざるを得ない。ただ、商品の売買を基礎としつつ、それを支える人と人との関係づくりこそが、よつ葉が事業活動を営む原点だということを、忘れないでほしいと願うばかりだ。

秋が深まる地場の畑
撮影:前よつば農産代表・
故・深谷真己さん(2015年11月)