リービ英雄さんが日本語で小説を書いて、直木賞をもらった時に「日本語には歴史がつまっていて、大変面白いことばです」と語っていたのを今でも覚えています。私たちは当たり前のように書いたり読んだりしている日本語が、外からながめるとそんなふうに見えるらしいです。
夏目漱石の『こころ』(文庫版)は2ページ目に初めて片仮名でアイスクリームとハイカラが登場し、4ページ目にホテル、13ページ目にアイロニーとアンドレが出てきます。ハイカラは厳密に言うと外来語ではなく日本語かもしれません。アンドレは人名です。
松本清張の『砂の器』は1ページ目にいきなりトリスバー、カウンター、サラリーマン、バーテン、レコードといくつも出てきます。これらは片仮名をひろうだけでどんな場面かわかりそうです。そもそも「第1章・トリスバーの客」で始まっています。トリスはもちろん日本語ですが、片仮名で書くことでハイカラさを出す表現のはしりみたいなものです。
片仮名は漢文(中国語)の読み下し文に使うために作られたために、江戸時代までは非常に限られた使い方をしてきました。明治になって欧米の文明を取り入れるようになった時、外国人の名前や外来語を片仮名で書くようになり、新しい役割が生まれて一般の文章の中に入ってきました。夏目漱石の小説が今でも読まれるのは、そのテーマばかりでなく、現代の私たちが読んでも全く違和感のない日本語にあるように思います。
それでも明治の人たちは外来語を一生懸命に日本語化しました。文明とか文化とか。また国名も独逸とか仏蘭西とか漢字で書くようにしました。万葉仮名の伝統かもしれません。これが漢字の本家の中国人たちにはなかなかできなくて苦労しているようです。可口可楽(コカコーラ)は意味も「飲むべし楽しむべし」で最高傑作だそうです。
敗戦でアメリカの文化がどどっと入ってきて片仮名が増えます。松本清張の時代にすでにあんな感じでしたが、今やあふれています。最近の傾向はもう翻訳すらしないで英語をそのまま平気で使っています。アンバサダーとかイノベーションとかモチベーションとかには説明もつきません。
何でも飲み込んで変化をするのが日本語の宿命かもしれませんが、近年は消化不良をおこしています。
息子が春休みに、京都の「100000tアローントコ」という古本とレコードの店で1日店長として職業体験をさせてもらいました。当日は店のツイッターを見て、小学生の店長目当てにいろんな方が来てくれたようで、迎えに行った時にはまるでお地蔵さんのお供えのようにお土産のお菓子が積み上げられていました。接客、レジ打と、息子なりに「はたらく」ということを実感したようです。
大好きな本とレコードとお客さんに囲まれた店長の姿を「楽しそう」と言っていましたが、店を切り盛りし、続けていくことの苦労は知る由もないです。人知れず汗を流すということは、これから少しずつ学んでいくのでしょうか。
でも、大好きな「もの」や「時間」と一緒に暮らすことは大切にしたいです。僕にとって音楽や本、映画は「自分と向き合う時間」を作ってくれます。息子は読書と音楽と仏像が大好きなので、その時間は大切にしてほしい。
夏休みはどこにも連れて行けないけど、サマソニのレッチリのライブには一緒に行こう! そして秋には、イースタンユースに逢いに行こう!
(京滋センター・光久健太郎)
(編集部・下村俊彦)
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