
矢継ぎ早の貿易自由化は
何をもたらすか
鈴木宣弘 (東京大学大学院農学生命科学研究科教授)
●元のTPPよりも大変な事態になっている
TPP(環太平洋連携協定)をめぐっては、国論を二分すると言われるほどの論争が巻き起こった。12カ国によるTPPは米国の離脱(8割近い米国民のTPP反対の声がすべての大統領候補のTPP離脱表明を導いた)で頓挫したが、TPP11(米国抜きのTPP)が 2018年12月30日に発効した。ここで日本は、米国も含めたTPP12の内容を11カ国にそのまま譲歩してしまった。
そうなれば、自分の分はどうしてくれるのか、ということで、米国が黙っているわけはなく、日米FTA(自由貿易協定)交渉が始まった。米国は、TPP12での日米合意以上に譲るよう要求している。「日米FTAを避けるためにTPP11をやる必要がある」と国民に説明したのはウソで、TPP11と日米FTAは最初からセットだった。やらないと言った日米FTAをやってしまったことをごまかすため、日米共同声明の日本語訳を改ざんまでして、「これは日米FTAでなく、TAG(物品協定)だ」と言い張っている。「浅知恵、極まれり」である。
さらに、TPPが頓挫したとき、代わりの成果がほしいと、官邸が「TPP以上に譲歩していいから早く妥結しろ」と急がせた日欧EPA(経済連携協定)も2019年2月1日に発効した。EUにはTPP以上を譲った。
つまり、この3つを合わせれば、現状は、大問題になったTPP12より事態が悪化していることを、まず深刻に受け止めないといけない。前以上に世論が盛り上がらなくてはおかしいが、ほとんど沈静化してしまっている。

TPP11の発効後、輸入が急増している
オーストラリア産牛肉
●自動車のために命と暮らしを永続的に差し出し、自動車も守れないことに
自動車を所管する官庁は、何を犠牲にしてでも業界(天下り先)の利益を守ろうとする。各省のパワー・バランスが完全に崩れ、1省が官邸を「全権掌握」している今、自動車を「人質」にとられて、国民の命を守るための食料が格好の「生贄」にされようとしている。
日本側は国内向けには「譲らない」と言っているが、「7月の選挙が終われば、8月にいい話が出てくる」とトランプ大統領にツイッターで「密約」をばらされてしまった。
しかも、本当は、農や食を差し出しても、それが自動車への配慮につながることはない。米国の自動車業界にとっては日本の牛肉関税が大幅に削減されても、自動車業界の利益とは関係ないからである。本当は効果がないのに譲歩だけが永続し、すべてを失いかねない「失うだけの交渉」になってしまう。
米国はTPP12で約束した、普通自動車の2.5%の関税は15年後から削減を開始して25年後に撤廃、大型車の25%の関税は29年間現状のままで、その間に日本が安全基準の緩和を着実に履行し、米国車を不当に差別しなければ、30年後に撤廃するという不確かで気の遠くなるような合意さえ、日米FTAでは「なかったことにする」と通告してきている。
●国産牛乳が飲めなくなる?
酪農は「クワトロパンチ」である。「TPPプラス」の日欧EPAとTPP11と日米FTAの市場開放に加えて、農協共販の解体の先陣を切る「生贄」にされた。
生乳は英国のサッチャー政権の酪農組織解体の経験が如実に示すように、買いたたかれ、流通は混乱する。このクワトロパンチの将来不安も影響して、すでに都府県を中心とした生乳生産の減少が加速しており、「バター不足」の解消どころか、「飲用乳が棚から消える」事態が昨夏からも起こり得ると警鐘を鳴らしてきたが、北海道の惨事で顕在化した。この事態を、消費者は地震で発生した停電による一時的現象と勘違いしている。これは、いつ、そういうことが起きてもおかしくない構造的問題なのである。
日欧EPAとTPP11の発効後、牛肉、豚肉、チーズなどの輸入が想定以上に急増している。消費者はチーズが安くなるからいいと言っていると、子どもに「ごめん、今日は牛乳売ってないの」と言わないといけない差し迫る国民生活の危機を認識すべきだ。
自由化は農家が困るだけで、消費者にはメリットだ、というのは大間違いである。いつでも安全・安心な国産の食料が手に入らなくなることの危険を考えたら、自由化は、農家の問題ではなく、国民の命と健康の問題なのである。
つまり、輸入農産物が安い、安いと言っているうちに、エストロゲンなどの成長ホルモン、成長促進剤のラクトパミン、遺伝子組み換え、グリホサートの残留、イマザリルなどの防カビ剤と、これだけでもリスク満載。これを食べ続けると間違いなく病気になって早死にしそうだ。これは安いのではなく、こんな高いものはない。
日本で、安い所得でも奮闘して、安心・安全な農水産物を供給してくれている生産者の皆さんを、みんなで支えていくことこそが自分たちの命を守ること、食の安さを追求することは命を削ること、孫・子の世代に責任を持てるのかということだ。牛丼、豚丼、チーズが安くなって良かったと言っているうちに、気がついたら乳がん、前立腺がんが何倍にも増えて、国産の安全・安心な食料を食べたいと気づいたときに自給率1割になっていたら、もう選ぶことさえできない。今はもう、その瀬戸際まで来ていることを認識しなければいけない。
そして、日本の生産者は、自分たちこそが国民の命を守ってきたし、これからも守るとの自覚と誇りと覚悟を持ち、そのことをもっと明確に伝え、消費者との双方向ネットワークを強化して、地域を喰いものにしようとする人を跳ね返し、安くても不安な食料の侵入を排除し、自身の経営と地域の暮らしと国民の命を守らねばならない。それこそが強い農林水産業である。
国民の命と健康をこれ以上差し出してはならない。