義母の7回忌が福知山の観音寺さんであって、法要の前に寺内で精進料理をいただきました。
漢字には音読みと訓読みとあって、それぞれ中国語読みと日本語読みと言えます。ところが、精進と精神のように音読みが2つある漢字があります。思いつくままあげてみますと、発足と発達、回向と回覧、会得と会合、帰依と依頼など、まだまだあるでしょう。前者を呉音、後者を漢音と呼んでいます。聖徳太子の頃、仏教や律令制とともに漢字と中国語が伝わってきました。この時の発音が呉音で、仏教用語とともにそのまま残りました。その後、奈良時代になってもっと大量に漢字文化がやって来て、この時の発音が漢音で、現在でも使われている多くの漢字の読みとして定着しました。
何年か前からNHKは呉音をやめて漢音に統一しました。発足は「ほっそく」ではなくて「はっそく」です。聴取者にわかりやすいようにという説明でしたが、この前も「昔は麦ワラで作ったストローを使ってたんですって」と、ストローの本来の意味も知らないアナウンサーがいるぐらいですから、本当は自局の職員のレベルに合わせたんだと思います。でも、漢字の歴史を無視した決定です。
仏教の経典の中で例えば般若心経は「色即是空」とか「空即是色」は何となくわかります。漢文(中国語)だからです。でも「般若波羅蜜多」とか「摩訶」なんて何のことだかさっぱりわかりません。三蔵法師らがインドから経典を持ち帰り、国家事業として翻訳に取り組んだのですが、どうしても訳しきれない部分が残ります。その部分をあえて古代インド語(サンスクリット語、梵語)のまま残して、漢字を当て字として使いました。
この「漢字を中国語以外の言葉に使うことができるんだ!」という「発見」が、当時のわが国の人々の和歌(日本語)を漢字で書くという離れ業につながり、万葉仮名が生まれ、さらに片仮名や平仮名が生み出され、豊かな日本語表現へと発達していきました。『源氏物語』は現在でも傑作です。
ベトナムと韓国は日本と同じように漢字文化圏で仏教もやはり中国から伝わりました。でも、自らのことばを表すための自らの文字を生み出すことはありませんでした(韓国ではハングルを作るまで)。ベトナムに至ってはフランスによる植民地化の支配も受けて、ベトナム語をアルファベットで表記しています。司馬遼太郎さんは、日本は中国とちょっと遠かったからよかったと言っています。
『よつばつうしん』は100号を迎えた。以前の『ひこばえ通信』は約300号。たくさんの生産者、会員の皆さん、職員が、独自の観点から力を込めて書いてくださった文章が多くて、機関紙なのに堅苦しくもなく一気に読めてしまうのがユニークな通信だなと。SNSにも良さはあるけれど、紙媒体の文字では、それぞれの人がじっくり考えた文章や行間の味わいまでもが心に響く。
振り返って真っ先に思い出す記事は、「母さんの曲がった指」という北海道の生産者Kさんのお便り。結婚前に挨拶に行ったおつれの実家で「決して彼女に苦労はさせません」と、ご両親に宣言したのに、農薬は一切使わない野菜づくりで来る日もくる日も草引きをしてくれた母さん(=おつれ)の指が今ではこんなに曲がってしまった(ごめんよ)。という文章を目にし、毎日畑で格闘する農家さんたちの、母さんたちの、姿に打たれた。私はこうした力ある食べものでできてるんだと。
これからも、このつうしんから出会いと共感が生まれることを願ってやみません。
(ひこばえ・下村純子)
Copyright © 関西よつ葉連絡会 2005 All Rights Reserved.