万葉集は全て漢字で書かれています。と言うか、あの時代の日本には文字は中国由来の漢字しかありませんでした。しかも地の文は漢文(中国語)です。和歌の部分だけが日本語(大和ことば)でこれに無理矢理漢字を当てて書きました。例えば「茜草指武良前野」と書いて「あかねさすむらさきの」と読みました。初めて日本語を書くのに文字が与えられたのです。これを万葉仮名と呼びます。和歌はもともと書くものではなく歌うものだったのですから画期的なことです。句読点はなく漢字がダラダラと続いて、般若心経みたいな感じです。今の私たちにはとても読めません。
さらに時代が下がって、紀貫之が土佐日記を著します。有名な冒頭部分「をとこもすなる日記といふものををむなもしてみむとてするなり」で始まります。当時は日記は男が書くもので、しかも漢字で漢文で書きました。紀貫之がわざわざ女を装って書いたのは、女の文字である平仮名を使って、日本語で日記を書くためです。これも画期的なことです。土佐日記の少し前に彼は古今和歌集の選者として平仮名の序文をつけ「やまとうたはひとのこころをたねとしてよろづのことのはとぞなれりける」と書いています。これまで心の中を和歌でしか表せなかったのを、日記にも平仮名を使うことで表現してみようとしたのです。
これが思わぬ影響を与えます。平仮名で日記を書いていいんだということを教えられた女性たちがこぞって日記を書き出します。更級日記や紫式部日記などいくつも残っていて、さらにそこから枕草子と源氏物語という、世界でも珍しい女流文学の傑作が生まれます。ただし当時は、どちらも自分が仕える中宮の所へ天皇が1日でも多く渡って来てくれるように、天皇を喜ばすために書いたものです。全て平仮名で句読点もなく、やはり私たちには読めたものではありません。
句読点は日本人の発明です。漢文を読むために語順を示す「一」や「二」や「レ」などをつけ、片仮名を発明して送り仮名をつけ、句読点で区切りをつけました。高校の時に習った漢文を思い出してください。「仁」という漢字の片方を使って片仮名の「ニ」、全部を崩して平仮名の「に」を生み出しました。片仮名と平仮名は純粋に国産です。国粋主義にこだわるなら片仮名か平仮名の元号を考えるしかありません。
いつ頃からか祝日や休日というものについていけません。昔に比べて休みの日がとても増え、いったい今日は何の日で休みかな?と思うこともあります。
先月の大型連休も普段通り仕事で、いや、休みで人手がたりない現場にお手伝いに行かされ…じゃなくて行ったりして、いつもより忙しかった気もします。
でも朝、出勤するときは道がすいているし、いつもは通らない山道を走るのでドライブ気分で気持ちが良いし、途中でシカに出会うというびっくり体験もできたので、まぁよしとしときます。
お手伝いに行ったのが、お総菜工場で、お昼ご飯に工場のお総菜と、お味噌汁とご飯を毎回食べさせてもらったのですが、おいしいし、みんなで食べると楽しくて、やっぱりご飯の時間って良いな~と思いました。
娘が大きくなって、夜ご飯を一人で食べることが多く、ここ数カ月、簡単なものですませたり、しょっちゅう飲みに出たりと少し乱れた生活を送っていたのですが、飲みに行く回数を減らし実家に顔を出して、母とご飯を食べようと思います。
(事務局・西郷まゆみ)
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