オジは89才。龍野(現たつの)で長い間、読売新聞の通信員を務め、地元の文化活動にも尽力したようです。豊橋の実家には盆暮れに欠かさず揖保の糸を送り届けてくれていました。ところが、この5、6年音信不通になってしまい同じ関西に暮らす親族のひとりとして、やさい村にある住宅地図をたよりに家を訪ねてみました。4年前のことです。仕事柄、家を探すのはお手ものですから簡単に見つかったのですが、あいにく改装中で誰も住んでいませんでした。そこで1年後に訪ねたところ、孫にあたる青年が留守番をしていて、オジは姫路の林田にある施設に入っているとのことで、その足で行ってみました。せっかくバリアフリーに改装したのに、そこで暮らすことはできなかったようです。
車イスに座ったオジはすっかり年老いて、認知症がかなりすすんでこちらの事が定かではないようでした。60過ぎの自分に対して「すっかり大きくなって」などと言ってました。
豊橋の母と姉に「できるだけ早く会いに行った方が良い」とすすめて、1年後に新幹線の姫路駅でおちあって、林田の施設へ案内しました。たった1年のことですのに、さらに認知症がすすんで母の話をすると涙を流してなつかしがるのに、当の本人が目の前にいるのがわかりません。まわりの人たちもみんな車イスで、眠っているような起きているような、スタッフの人たちの声だけがひびいていました。
物腰の柔らかい人ですが、思えばオジは立派で、会話は説教や説得や薀蓄が多かったようです。たぶん、自分の息子に対しても。
下のオジは昨年83才で逝きました。八百屋をやっていてすごく社交的で、みんなで集まってお酒を呑むときにはギターを持ちだして田端義夫の歌を披露してくれました。ギターも歌もなかなかのものです。晩年は耳が遠くなったのに補聴器を嫌がり、どんどん自分の中にひきこもってしまい、最後は子どものようになって死んでいきました。
母は94才。2年前に姫路まで来た時もちゃんと自分で歩き、今も週5日、デイサービスに通っています。若い時には隣組に回覧板を届けに行っても帰ってこないくらい話し好きのおしゃべりで、今もそうです。認知症はほとんど見られません。
ヒトは歩くこととしゃべることでヒトになりました。ヒトの脳にとって歩くこととしゃべることはすごく大事なんだと思います。
2019年2月 関西よつ葉連絡会
こんにちは、新たな編集委員の一員となりました庭林です。私はスマートフォンが嫌いです。正直今まで持っていませんでした。しかしこの間の地震対応で、いやいやながら持つことになりました(正確にはタブレットと携帯電話の二つ持ち)。便利なことは認めます。調べ物は即検索できますし、行きたい場所は地図で即提示してくれるのはものすごくありがたいのです。お店でスマートフォンを持っていると安くなるとかあるのですが、持っていない人に不利で不公平ですし、情報の切り売りしているようなものと思って忌避していました。それに行った場所もわかってしまう(やましいことはありませんよ)。
ガラパゴス携帯持ちとしては「そんなもん持ってなくとも生きていけるよ」と強く思うのですが、うちの子ども8歳が楽々とスマートフォンの機能を使いこなしているのを見ると、それが標準になっていて自分が古い人間なんやなと思いつつ、持っていないと不安になることのないよう、気をつけていきたいですね。こんな保守的な人間ですが、よろしくお願いいたします。
(京阪産直・庭林利行)
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