
福島原発事故の今とこれから
河田昌東(NPO法人チェルノブイリ救援・中部)
(1)はじめに
福島原発事故からもうすぐ8年目を迎える。オリンピックを控えて国はあたかも原発事故が無かったかのように被害を無視し、2年前には年間20ミリ・シーベルト(以下、mSv)以下の地域は避難指示を解除し、避難者に帰還を無理強いした。しかし避難解除された浪江町、富岡町、川俣町、飯舘村などの帰還者は5~10%程度にとどまっている。
(2)空間線量率の変化
一方、私たちは事故直後の2011年6月から南相馬市を中心に年間2回、空間線量率を測定し汚染マップを作ってきた。これまで16回測定した結果、少なくとも南相馬市内に限って言えば、事故直後年間1mSv未満の面積は5%に過ぎなかったが、2018年10月の測定では92%まで拡大した。これは半減期が2年のセシウム134(Cs134)と30年のセシウム137(Cs137)が放出時には半々だったことで、Cs134が大幅に減ったこと、Cs137も当初は地表に存在し多くが空間線量率に反映したが、時間が経ち雨などの影響で地中に浸透したため、土壌中にはあっても空間線量率に反映しなくなったことなどによる。事実、土壌汚染マップを作ると空間線量率が低い場所でも土壌中には多量のCs137の存在が確認されている。こうした変化は同じ福島県内でも場所によって大きく違い、南相馬市内は下がったが放射性プルームが流れた途上にある浪江町、飯舘村の一部など、もともと汚染が高い場所ではまだまだ外部被ばくの危険性は大きい。

帰還を断念した人の家屋の解体(南相馬)
(3)農産物などの汚染
私たちは南相馬市内に「放射能測定センター・南相馬」を設置し、住民の持参する野菜や水、土壌などの放射能測定を行ってきた。これまでに16000検体余の測定を行いさまざまな事実が明らかになった。事故当初、南相馬では100Bq/kgを超えるコメの産出などで大きな問題となった。ホウレンソウなどの野菜も数十Bq/kgあり食用にはできなかったが、時間経過につれて汚染は次第に低下し、現在はほとんどが数Bq/kg以下に下がった。コメの汚染はほぼ事故前レベルに戻った。原因はセシウムが時間経過につれて土壌に強く吸着し、土壌中の水溶性セシウム濃度が下がったからである。空間線量率同様、土壌中にはあるが野菜には入りにくくなったのである。また野菜の場合、カリ肥料を蒔くために化学的性質がカリウムに似ているセシウムが吸収されにくくなったことも大きい。
(4)山菜やキノコの汚染
一方、住民が春の楽しみにしているワラビやゼンマイ、ウドなどの山菜やキノコは8年経った今も汚染が高く食用にはならない。kg当たり数千Bqの山菜も少なくない。住民が毎年楽しみにしていたイノハナダケやコシアブラなどは今でもkg当たり数万Bqあるものも珍しくない。今後も長きにわたって食べることはできないだろう。これはチェルノブイリの経験でも同じである。
(5)小児甲状腺がんの問題
事故直後に大量に放出された放射性ヨウ素(I-131)で住民は被ばくした。これは甲状腺がんの原因である。チェルノブイリでも多発したが、福島でも事故当時18歳未満だった子どもたちの甲状腺がん患者は現在277名に上っている。国や県は患者の増加は認めつつも、それが放射能が原因とは認めていない。最近、事故当時、原発の地元双葉町にいた11歳の少女の甲状腺被ばく線量が100mSvあった、と報道され話題になったが、事故後の国の甲状腺被ばく検査は人数が少ないだけでなく、測定状況も極めて悪く正確な検査は行われなかった。そればかりか、原発から半径30km以内の子どもたちの検査はあえて行わなかったことが明らかになった。被害を少なく見せようという意図が当初からあったとしか言いようがない。チェルノブイリの経験によれば小児甲状腺がんの発生ピークは事故後10年目であり、福島では今後も増えるであろう。

放射能測定センター・南相馬
(6)事故は私たちの世界を変えた
チェルノブイリ事故の被災地をめぐり新たな文学を開いてノーベル文学賞を受けたベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシェーヴィッチは16年前、日本での講演で「チェルノブイリ事故の真の原因は技術的未熟さではない。便利主義、経済優先という近代の考え方が本当の原因だ。今価値観を変えなければ再び原発事故は起こるだろう」と予言した。それが日本で起こるとは想像もしなかった自らを恥じる他ない。1970年大阪万博の年に国内初めての商業用原発による電気が若狭湾から万博会場に流れた時、政府もマスコミも「原発は未来のエネルギー」と沸いた。しかし今に至っても、事故の後始末と廃棄物処理の問題は解決の目途さえたっていない。再び原発事故を起こしてはならない。そのために国は再稼働を断念すべきである。福島原発事故を経験し世界の流れは変わった。再生可能エネルギーの時代に入ったのだ。私たちは今後も起きてしまった原発事故の被災地を支援し、そこから学ぶ多くの事実を後世に伝えていく義務がある。
かわた・まさはる 1940 年、秋田県生まれ。分子生物学者。 四日市公害、チェルノブイリや福島の原発事故被災地の支援、遺伝子組み換え食品による被害拡大を防ぐための調査や研究など、多くの社会運動に関わる。よつ葉とは芦浜原発(2000年に白紙撤回)反対運動の頃からのおつきあい。
著書(共著含む)に『遺伝子組み換えナタネ汚染』 (緑風出版)、『チェルノブイリの菜花畑から』(創森社)、『チェルノブイリと福島』(緑風出版)など。