
「種のこと」を考える
鈴木 伸明(関西よつ葉連絡会)
食べものの仕事をずっと続けてきて考えることのひとつは、人と自然との関係についてです。人は食べものを作ることはできるのか? 在る物を単に消費しているだけではないのか! 今では、その問いは自明のことです。「生産」も消費のひとつの形に過ぎない、ということです。
人は食べものを作ることはできないのです。自然の営みに依存して、人の営みもあり、その逆ではないのです。そんな当たり前のことが、私たちが生きる前提として了解されているとは思えない、のがさまざまな不幸をもたらす要因となっています。人が作り出した「人間的な世界」は地球的な自然世界とは別物です。むしろ、対立した関係にある、といってよいでしょう。人を中心に世界を視るのではなく、人も自然界の一部でしかないことを前提とすれば、自然に対してもっと謙虚になり、異なった社会が作られるのではないか、と思うばかりです。
●種がなければ人は存在しない
以上は「種のこと」を考える私の前提です。あらゆる生きものはそれぞれが単独で「生命の営み」を行うことはできません。それぞれが関連しあってその営みをなします。その生態系の根幹にあるのが、自身で無機物を有機物に変える力を持つ生きもので、植物ということになります。植物が最初に誕生し、その多くは種を残して、いのちを更新していきます。その植物を食べる動物が次に生まれます。そして、食物連鎖の中で多くの生きものが生まれ、人も誕生した、というのが子どもの頃に学んだことです。ただ、人はその生態系の頂点にある、というイデオロギッシュな教えが実は大きな錯覚で。間違いのもとでした。
種がなければ人は存在しない、種は人にとって欠かせない共有の重要な財なのです。また、植物の生命活動の多様な形、その凄さは学べば学ぶほど興味が尽きないものですが、自身の命の更新に、他の生きものの活動を巧みに利用する術をちゃんと持っていたりします。

地場旬菜(1面参照)賀茂なす
●種の独占=自然との「不等価交換」
「コロンブスの不等価交換」という歴史的な出来事があります。ヨーロッパ世界から地球上の広い範囲に血なまぐさい活動を及ぼしていく時代がありました。南米大陸からの多くの略奪物資の中に食物の種もありました。その後の、世界の食を豊かにし、大きく変えるものでした。その対価として、新大陸にもたらしたのは、殺戮と病原菌、そのひとつの天然痘によって、殺戮以上の多くの人々が死んだ、ということで「不等価交換」というのですが。持ち帰った種はじゃがいも、とうもろこし、唐辛子などです。その種は世界の各地に広がっていきます。それらの種は辿りついた先の自然条件に適応し、さまざまに形も味も変えて、根付き、その地の固定種となって、人々に利用されました。植物の生命力の凄さを実感できるものです。その力によって人も生かされているのです。
その種を私的に独占し、「儲けのネタ」にしようとする動きが近年顕著になっています。政治がそれを後押します。公正な社会とは縁遠い状況です。自然を人は思うがままに利用できる、と近代の科学は考えるのでしょうが、とんでもない思い上がりです。自然との「不等価交換」ばかり続けているとしっぺ返しを受けることになります。
●自滅への道 止めるのは今
昨年の4月、米・麦・大豆などの重要な穀物の種子を安定的に生産し、普及させることに国が責任を持つことを明記した「種子法」(主要農産物種子法)が廃止されました。
近年の、「アメリカ発の不公正を生み出す世界ルール」が、社会のあらゆる分野に広がり、人々の暮らしに大きな影響を与えています。その動きが種にも及び、種を支配し、食を支配し、莫大な利益を得ようと目論む、悪意ある勢力を勢いづけるものです。
今までも、野菜の種は民間に委ねられ、多くはF1種が流通しています。一代限りで、毎年種子会社から種を買わなければならない、品種の多様性を失い、画一的なものになり、おいしさもいまひとつ、など問題も多いのですが、今回は米など食に不可欠な穀物の種であり、影響力も桁違いです。無関心ではいられません。
人にとって共有の財産である種を、あの手この手を駆使して、独占しようといういかなる行為も認めるべきではありません。
遺伝子組み換え、これからはゲノム編集?それが最先端の技術ともてはやされます。しかし、そんな技術が必要なのか! 相当怪しく思われます。自身で更新する能力を失った生き物に強い生命力があるはずがないのです。生命力のある種を独占し、操作を加え、わざわざ弱いものにして、市場を席巻し、食を支配しようという企みは人を生かす技術とは思えません。
近年の人の活動は多くの生物種をすさまじい勢いで絶滅危惧種に追いやっています。すべての生きものを絶滅させたら、人も当然絶滅します。当たり前のことです。人以外の他の生きものは、決して相手を滅ぼしません。自身の滅亡につながることを知っているからです。人だけが、この当たり前の摂理を知らないかのように振る舞います。長い目で見れば、自滅に向かって突き進んでいるかのようです。

映画「種子(たね)」(PARC)より。
日本語版製作統括・内田聖子さんを
2月24日「よつ葉交流会」にお招きします。
すずき・のぶあき 1949年、愛知県生まれ。関西よつ葉連絡会発足当初から事業と運動の立ち上げを担ってきたよつ葉第一世代。農場や配送センターの運営にかかわり、現在は大北食品の代表をつとめる。一方、次世代の育成にも力をそそぎ、研修活動の一環として開かれている「よつばの学校」の立ち上げにかかわる。2018年度は『大阪日日新聞』「澪標-みおつくし―」欄のコラムを担当。