「よつばの学校」全職員向け講座 参加者レポート
知ってほしい 農家さんのこと
お話・地場生産者のみなさん
地場野菜の生産者のみなさんの話を聞いていて、自分もかつて農家になりたかったことを思い出しました。成田さん、吉村さん、吉田さん、今堀さん、中西さん、それぞれに歩んでこられた人生や、就農したいきさつ、働いている思いなど、個性があって聞けて良かったです。今回参加して、やはり顔を合わせることが大事だと思いました。田畑に行ってみたいとも思いました。
中西さんが配達員に言いたいことが印象に残りました。「大きな声で挨拶してください。そっと来てそっと帰られるのはとても残念」。「会員紹介は物で釣るより、○○さんのために紹介してあげたい。その人の役に立ちたいと思ってもらう。それには自分を耕すことが大切。深く物事を考えキラリと光るものを見せつけるのではなく見つけてもらう」。
配達員は、注文を受けた食べものや日用品などをしっかり届けることはもちろんのこと、どんな人かも見られているので、自分を耕す、自分を磨いていくことは、やっていきたいことです。なかなか一朝一夕にはいきませんが、少しずつ積み重ねていきたいです。中西さんが持ってきてくれた白和え、おいしかったです。
自分も含めてできていませんが、産直で働く職員は、もっと生産現場を知らないといけません。生産、流通、消費と分けること自体がおかしなことですが、お互いに顔を合わせて一緒にやっていける関係を作り続けていかなければと思いました。
(奈良産直・松本恭明)
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地場の農家さんの人柄もふくめて、日々どんなことを考えて農作業をしているかなどがよく伝わってくるいい会でした。特に今堀さんの母親の死からのストーリーはとても興味深く、説得力があり、単純にいい話だと思いました。「見えない生命」「生命にかかわる仕事」。いままで考えたこともない視点です。
農村地を訪ねて話を聴く仕事をかたわらでしていますが、どこの農村地も特徴や魅力があるようで、その辺りもとても興味深く聞きました。若い人たちのその土地の魅力を見つける感性、またはIターンの人たちの自らの感性を見つめる力には将来的な展望を感じます。
地場生産者さんとの交流、今回で終わらせるのではなくこれからのことについて議論を重ねていけるような関係になれたらと思いました。
(京滋産直・矢板 進)

職員研修として実施している「よつばの学校」全職員向け講座
「生産者に学ぶ」の第4回目が、11月9日(金)よつ葉ビルに
地場農家の皆さんをお迎えして開かれました。就農にいたる経緯や、
いまどんな思いで農業に取り組んでいるのか、今後の抱負などを
お話しいただきました。
左から成田さん、吉田さん、吉村さん、今堀さん、中西さん。

天候不順に翻弄された2018年
「大豆くらぶ」13回目の収穫
「大豆くらぶ」の取り組みも、2006年のスタートから13回目の収穫を終えました。
日本の農村から大豆づくりが消えていく時代にあって、日本の食の中心的作物であった大豆を自分たちでまず栽培して、醤油や味噌、豆腐に加工し、〝大豆くらぶの○○〟としてよつ葉の会員の皆さんに購入してもらうことで、身近な所での大豆づくりを継続して循環させていく、という取り組みです。3年目からは地場農家だけでなく、会員の皆さんにも家庭のベランダや庭で大豆づくりに挑戦してもらい、収穫できた大豆をよつ葉に届けてもらって、その大豆も一緒に原料として加工しています。
7月中旬、地場の北摂協同農場で開催した「てっぺんトマトコンテスト」を見学した際、「今、こんなんよ~」と見せてもらったのは、ヒョロヒョロの茎に萎れた葉、根はカチカチに乾燥した粘土に固められた大豆の生育状態でした。西日本豪雨で芽が出たばかりの大豆は水没したり流されたり…生き残ったものも、その後の酷暑と干ばつで畑の土が乾いて固まってしまい…不作は覚悟しましたが、さらにその後の台風来襲や天候不順が続いて痛めつけられてしまいました。さて、その収穫量は?
少なくて今まで通りに加工ができません。残念ながら、加工原料としての最低必要量の多い醤油加工を今回は諦めざるを得ませんでした。でも、その代わり「醤油づくりキット」を案内しようと計画中です。大豆と小麦と麹菌を混ぜたものに塩水を加えて、自分で大豆くらぶの醤油づくりを楽しんでもらおうと思います。大豆くらぶのお味噌とお豆腐は、例年通り『ライフ』紙面にてご案内しますので、お見逃しなく。
身近な所での大豆づくりを継続していくために、自然界の猛威に翻弄された2018年の結果に滅入ることなく、豊作を信じて大豆くらぶの取り組みを進めていきたいと思います。会員の皆さん、地場の農家の皆さん、ご協力ください。
(よつば農産・深谷真己)

「大豆くらぶ」集会であいさつする深谷さん(2018.6.3)

よつ葉包囲網
10数年前、結婚して、なかなか授からなかった子どもがやって来てくれたときのことです。嫁さんは体調を崩し、産前は切迫流産、切迫早産、産後は乳腺炎に極度の貧血と、次々にやってくる困難に途方に暮れていた時、それでも、行く先々、さまざまな人と出逢いました。いろんな事を教えてくれたり、一緒に悩んでくれたりと、ありがたい出逢いの数々。まさに困難の数だけ出逢いがありました。
その時出逢った人たちの共通点は「笑顔が素敵!」そして「よつ葉の会員!」。やがて導かれるようによつ葉の会員となり、自分たちを取り囲む「たべもの」と「ひと」が少しずつ変わっていきました。そして子どもが一歳を過ぎたころ、それまで日雇い仕事で稼いでいたのですが、「はたらきたい!」と思い仕事を探していた時、やはり出逢う人、現れる人が口々に「よつ葉さんが人を探してるよ」「よつ葉に行き」「よつ葉が待ってるよ」「うちの旦那はよつ葉で働いてるよ」とまさによつ葉の波状攻撃。挙句の果てに、親せきから、なぜか1年遅れでふいに送られてきた出産祝いがよつ葉のクローバーの食器セット…。
気が付いたら、よつ葉に面接に来ていました。いや、何が言いたいかというと、みなさんも「よつ葉包囲網」には気を付けましょう!…おっと、本紙を手にしている時点で、すでに手遅れですね。じゃ、いっそのこと、身近に困ってる人がいたら、遠慮しないで包囲してあげましょう!
(編集委員/京滋センター 光久健太郎)