
庶民派! 異色の沖縄県知事誕生
三上智恵(ジャーナリスト、映画監督)
2018年9月30日。沖縄県に異色の知事が誕生した。玉城デニー候補は沖縄で言う「アメリカ面(アメリカジラー)」。アメリカと沖縄のいいところを取った精悍な顔立ちで喜びのカチャーシーを舞った。その手つきはさすが元芸人。彼はうちなー口を軽妙に交えたトークで市場のおばあたちから若者まで、庶民に大人気のラジオパーソナリティでもあった。
米兵の父と伊江島の母の間に生まれたデニーさん。複数の国にルーツを持つ知事は日本では初めてという。「ハーフで母子家庭。裕福ではなく、時にいじめの対象にもなった」と自ら半生を語る。「大学も歩いていない僕が議員になるとはね」と笑いながら、もう10年国会議員を務めたが、人当たりは至って謙虚。選挙戦も市民の目線にこだわり、街宣カーに上らず沿道で語った。そんな柔らかな物腰の人物が、沖縄の歴史上最多の39万を超える票数を集めて、押しも押されもせぬ沖縄県知事になった。しかも、自公中央政権が総がかりで乗り込んで支えた相手候補を破って、である。安倍政権の面目は丸つぶれだ。

玉城デニーさんの総決起集会(9/22)
撮影:研修部会沖縄訪問団(1面参照)
●「軍隊は住民を守らないからね」
「勝ったのはうちなーの(沖縄の)肝心(ちむぐくる・真心)。負けたのは沖縄をうしぇーている(舐めている)政府さ」当選に涙しながら、文子おばあは言った。20年あまり基地建設問題に引き裂かれてきた名護市辺野古に住む島袋文子さんは一貫して米軍基地には反対してきた。沖縄戦では火炎放射器に焼かれながら生き延びた壮絶な体験を持っている。
「軍隊がいるところが戦争になる。軍隊は住民を守らないからね」「一つでも基地を減らしてからでないとあの世に行けない」と、89歳の今も座り込みに参加している。
「今回もしデニーが負けたら、かといって政府の好きにはさせんよ、と国会に乗り込もうと決めていた」とおばあは明かした。
「翁長さんも命がけで闘ってくれた。でも私も、この命をかけているんだからねえ」
●沖縄の民意を無視し続けた安倍政権
4年前、沖縄の保守の星だった翁長雄志さんが革新勢力とも手を組んで「イデオロギーよりアイデンティティ」と沖縄を一つにまとめた。翁長知事誕生の日も、私は文子さんと歓喜の夜を共有した。経済か、基地反対か、二つに一つという選択ではなく「誇りある豊かさ」を掲げた翁長さんは島ぐるみの闘いで圧勝した。「辺野古の基地だけは反対」の民意は示された。これで17年越しの苦しみから解放される。誰もがそう思った。
ところが、安倍政権は沖縄県を訴え、司法を巻き込み、各省庁を味方につけルールも変えながら沖縄に屈服を迫ってきた。沖縄県知事は何度も被告席に座らされた。この4年、常に沖縄県民の7,8割が辺野古の基地建設反対の意思を示してきたにもかかわらず、沖縄県の打つ手は次々に封じ込まれ、じりじりと海にコンクリートが投下されていく。
「あの光景はもう見ていられない。私は絶対諦めはしないけど、うちなーんちゅはこれで折れてしまうのでは」文子おばあがため息をつくことが多くなった。
●命を削る戦いが流れを変えた
沖縄は、忘れて、許す文化だ。それは相手に対する優しさだけではない。こんなに小さな逃げ場のない島で、辛い出来事を繰り返し思い出したり、誰かを恨み続けるエネルギーは、相手だけではない、自分を焼いてしまうのだ。怒り・怨みを持ち続ける人より、人を責めないで笑顔でいる人が圧倒的に好かれる土地柄だ。だから、沖縄の民意を省みない政府を恨み続けるより、もう海は囲まれてしまったし、結局政府に勝てないのなら折り合いをつけるしかない。翁長知事があんなに頑張ってダメなら、もう反政府やオール沖縄なんて疲れるだけじゃない? そんな停滞感もあった。翁長知事が仮に健康で10月の知事選に臨んでいても、厳しいという見方が大勢だった。

(左)筆者、(右)島袋文子さん
しかし流れは急激に変わった。2月にすい臓がんが見つかってから、知事の衰弱は早かった。翁長さんには、前知事が出した埋め立ての承認を撤回するという大きな仕事が残っていた。8月と宣告された埋め立て開始を睨み、国側の手続きの瑕疵を積み上げ、司法判断に持ち込んだ場合をシミュレーションしながら、いつ「撤回のカード」を切るか。お互いを探り合う神経消耗戦が続いた。それは病床の翁長さんの命を削って余りある残酷な時間だった。
なぜ、圧倒的な民意を受けた県知事がここまで苦しめられなければならないのか。翁長さんは弱音も吐かず、命の灯が細り、口内炎で水も飲めない状況にあっても、県民の前では気丈夫を貫いた。県民がその命がけの壮絶な戦いを知ったのは彼が旅立った後だった。
「うちなーんちゅ、うしぇーてぃないびらんどー!(沖縄県民を侮ってはいけませんよ!)」「なまからやーさい。命かじりやいびーんどー!(今からです。命がけで闘いましょうね!)」彼の声がテープで流れると、県民大会の会場は涙で溢れた。そして、生半可な気持ちでは翁長さんの遺志を引き継げないと、折れかけていた県民の心はまっすぐに戻っていった。
●沖縄庶民を代表する新しいリーダー誕生
その翁長さんが後継者として指名したのが、ある意味米軍に占領された戦後の沖縄を象徴し、また島の言葉や文化を愛し、共生を目指し敵を作らない玉城デニーさんだった。10年籍を置いた国会の人脈で、政府との対話の機会は増えるだろう。柔軟な姿勢も見せるかもしれない。しかし日米の軍事要塞になった島を子や孫に手渡すわけにはいかないという翁長さんの、そして沖縄県民の決意を全身に注入されて沖縄県のリーダーになったデニーさんだ。政府は、沖縄庶民を代表する、一見柔和な新知事の手腕を見くびらないほうがいい。
みかみ・ちえ ジャーナリスト、映画監督。1987年、アナウンサー職で毎日放送に入社。95年、琉球朝日放送の開局時に沖縄に移住。「海にすわる」など、沖縄の文化、自然、社会をテーマに多くのドキュメンタリー番組を制作。『標的の村』(13年)を劇場公開。14年にフリー転身。『戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)』(15年)、『標的の島 風(かじ)かたか』(17年)、『沖縄スパイ戦史』(18年)を劇場公開。著書に「戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り」、「風かたか 『標的の島』撮影記」(ともに大月書店)など。