自然災害が続き、心が萎えています。
少し前、「10年に1度」と言われるような災害が毎年起きるようになりました。それぞれ形が違うとは言え「10年に1度」が毎年となればもはや「10年に1度」とは言ってられないぞと心配していましたが思ったとおりでした。ここ4、5年はついに「観測史上初めて」とか「統計をとり出して以来初めて」というような大きな災害が起こりはじめました。紀伊半島の水害とか、福岡南部の水害とか。
かつては「夏日」と「冬日」しかありませんでした。25℃を超えれば夏だし、10℃を下回れば冬で、30℃を超えるような暑さはひと夏に2日とか3日しかなかったのですが、何年か前から30℃を超えるのが当たり前となって「真夏日」が作られ、さらに35℃も超える月があらわれて「猛暑日」ができました。今年はついにその「猛暑日」が毎日続き、連日のように熱中症で亡くなる人が出ました。こうなるとこの暑さも自然災害と言っていいでしょう。
気温が高いだけではありません。とにかく湿度が高い。これが熱中症を増やし、また雨の量を増やしています。以前は「不快指数」といって、気温と湿度をかみあわせて発表していましたが、いつの間にか言われなくなりました。「不快」というのが嫌われるのなら「熱中症指数」とでも言いかえて発表したらどうでしょうか。
気温だけではありません。海水温が上がっています。以前の台風は日本列島に近づくにつれて勢力が衰えていたのですが、今は逆です。日本近海の海水からエネルギーを補給して大きくなって上陸するのだからたまったものではありません。
台風20号、21号とたて続けに近畿地方に襲いかかりました。21号では関空が大変なことになりましたが、大阪市港区のわが家の近くの公園では10本近くの木がなぎ倒されました。ほとんどが根こそぎなんですが、直径50cm近くのイチョウの巨木は根本近くでへし折られていました。関空で風速58mを記録したそうですが、これは時速200kmにあたり、自分の身のまわりの空気が全部新幹線が通過するようにして吹き荒れるわけです。各地で電柱が倒れ、電線が切られ、広い範囲で停電しました。ハム工場も豆腐工場も惣菜工場も操業できず、何よりもみなさんの注文品をピッキングするセンターがやられて、大混乱しました。
そして、北海道の大地震です。心が萎えます。
草取りで、田んぼを這いずり回ったサウン月の31日(西暦で8月16日)はナーグ・パンチャミー祭。この日は、コブラが神格化した大地を守る蛇神・ナーグを奉り、戸口の壁に蛇神の絵が貼られます。ただ、蛇を尊ぶのはこの時だけ。亜熱帯タライでは、民家の軒や採草地の茂みに現れるコブラなど、最も恐れられた存在なのです。
蛇神の絵の上面には、ちぎったギョウギシバを飾ります。農家にとっては畔や荒地どこでも蔓延り、絶えることがないやっかいな雑草です。だけど生命力があり年中何度も刈られ、軟らかいこのシバに対する、牛や水牛の嗜好性は高く、日本では牧草バミューダグラスとも言われ、有用な家畜飼料なのです。
そして蛇神の絵とギョウギシバを壁に貼り付ける際に用いるのが〝ゴバル〟です。ゴバルとは、ヒンドゥー教においては、神聖なる〝牛糞〟のことです。牛舎のゴバル(屎尿)を吸収した敷ワラを手で取り出したり、放牧地では、ゴバルを拾い集める人も見ます。ゴバルは、貴重な堆肥となり、赤土と混ぜては、カマドの土間や土壁、脱穀の作業場の床となり、円形に固め乾かして焼くと燃料になります。ゴバルとは単なる排泄物、汚れたモノでなく、暮らしを潤す存在なのです。
山岳部カファルダンダ村を訪問した時、牛や水牛を所有できない農家では、預かり牛が飼われていました。植生豊かな雨季の間、預かった牛に刈り草を与えて世話をする、替わりにゴバルを堆肥として蓄えるという方法が採られていました。売買・搾乳・牛耕と、どこの農家も牛・水牛を1~2頭飼う理由はさまざまです。が、主目的は堆肥生産にあり、これがネパールの農耕と家畜飼育がそれぞれ独立することなく、一体としてある由縁です。
ナーグ・パンチャミー祭の日。蛇、雑草、ゴバルと恐れたり、もてあましたり、大切にされたりする身近なモノを崇めるあたりに、自然と向き合ってきたここでの暮らしが見えてくる、と思うのです。
蛇神の絵、紙の上下面と角にゴバルを塗り壁に貼る
9月に日本で猛威をふるった台風21号。ピーク時に自宅から見ていた限りでは、目の前で家の瓦が飛ばされ、近くの公園で折れた太めの木の枝が舞い、はずれた車庫の枠のようなものまで飛んでいた。幸い近所で人的な被害はなかったが、方々でアンテナが曲がり、公園では桜や銀杏の木が折れ、物が散乱し、近くで畑をされている方は荒れた現場を見ながら「種をまいて芽をだしたところだったのに、またやり直しやな…」と大変ショックを受けておられた。
最近、豪雨、強風、地震、噴火…猛暑も同じ枠に入るのかもしれないが、各地で自然災害が多く起きているように感じる。北海道胆振東部地震では、震源に近かった火力発電所が停止したことで大規模な停電が起こった。東日本大震災以降停止しているとはいえ、これが泊原発付近で起きていたらと思うとゾッとする。
何にしてもどこに住んでいようと被災する可能性は十分ある。常に目を光らせて生活するのは心穏やかではないが、備えられるものは備えつつ、日々の暮らしを見つめ直していかなければならないと改めて考えさせられた。
(ひこばえ・辻田浩司)
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