土用の丑にうなぎを食べるのもだんだんむずかしくなってきました。考えてみれば、稚魚(シラス)の時に捕獲し、それを大きくして確実に食べてしまうのですから、資源が減っていくのはわかりきったことなのに、なぜそこに考えが及ばなかったのか恥ずかしくなります。養殖して大きくしたうなぎの1割でも放流していたら少しは違っていたのだろうかなどと考えたりもします。
ハモはうなぎの仲間で、やはり生命力が強く、大阪湾や明石浦で獲れたものを、生きたまま京都まで運ぶことができたので、京都で食べられるようになりました。祇園祭の暑い時期に、うなぎ同様に精のつく食べものとして好まれました。生命力をいただくわけです。祇園祭のことを別名「はも祭」とも呼ぶそうです。大阪の天神祭でも食べるようになったのは、京都の食習慣が出もどりしたようなものでしょうか。
ただしハモはうなぎと違って小骨が多く、堅いものですから、骨切りをしないと食べられません。「一寸(3.3cm)につき26筋」刃を入れられるようになって一人前だそうです。これを湯引きにするとまるで白い花が咲いたようになって、見た目にもきれいです。活けハモでないと骨切りもうまくいきません。そういう意味ではいろんな条件が重なって初めて食べられる料理のようです。
ハモの名前は食む(はむ)からきているという説があって、うなぎと違って見るからに獰猛そうで、下手にさわると噛みつかれるそうで、そこから名付けられたようです。生簀に入れると互いに噛み合って殺し合うというのですから何ともすさまじい魚です。
また漢字の鱧のうちの豊の部分は「まがりくねる」とか「黒い」の意味があり、中国ではもともと淡水魚の雷魚のことで、それが日本ではハモを表すようになりました。獰猛でちょっとグロテスクな魚が、板前さんの腕によってまるで牡丹の花のような上品な食べものになるのですから、こんなに落差のある食べものもありません。
港区の家の近くにちょっと高いけどすごくうまいお寿司屋さんがあって、夏になるとそこでハモを食べるのが楽しみだったのですが、最近、店を閉じてしまい、かなわなくなりました。娘が10年ほど前に結婚相手の男性を連れてきて、いっしょに食事をして飲んだのもこの店で、思い出のつまった店でもあります。
「今日も1人で畔塗りしているわ」。田植え前、水漏れを防ぐために鍬で草の張った畔を削り、泥で畔を新しく付ける作業中、妻が遠方の女性を見て言いました。最近は鍬を片手にせっせと働く女性を多く見かけるようになったとのこと。女性が力を付けた訳でなく、男手が足りないのです。
山岳部ガッタラン村で、チョンリと呼ぶ牛十数頭の乳を搾っていた知人のチメンさん。「20リットルの牛乳缶と我が子も一緒に担ぎ、村外れのチーズ・ファクトリーに朝夕、出荷するのが辛かった」「貴重な収入だったけど、チョンリが病気で死ねば損失が大きかった」と語ります。ほぼ女手一つで子4人育てたチメンさんは今、村を離れて町で布生地の商店を営んでいます。
年老いて「時が来ればここを離れる」と語るのは、山岳部バチャン村の牛飼いカカ(妻の叔父)。6人の息子娘がいて、長男はもっとも出稼ぎ者が多いインドの軍隊で働き、次男は二国間協定を結んでいる韓国へ出稼ぎに出て2年。長女はインド軍で働く男性と結婚してダージリンへ。韓国で約5年の雇用期間を終え、都市ポカラで再雇用許可を待つ次女。そこに同居して韓国語を勉強しながら、日本も出稼ぎ先としてどうなのか?と聞いて来る三女。四女も山を降りて進学中で、今年カカの家を訪ねた時には、夫婦2人だけでした。
6人兄弟姉妹の長女である妻のブワリ(弟嫁)の場合。マレーシア出稼ぎ中の次女の一人息子を預かり3年が経過。三女は4年前結婚し、夫はマレーシアに出稼ぎ中とのこと。長男はドバイ(UAE)で長年、事務員として働き、次男はカタールで警備員。三男はドバイから数か月で戻り、今度は韓国へ出稼ぎ中です。
家族が食いはぐれないようにする。少しでも高い収入を求める。農業以外にも職業を選ぶ。外国に出ればもっと高い所得が得られる、そんな今。反対に農業が疎(うと)んじられています。そうなった、あるいは、そうさせたのは何なのか?と思うのです。
チョンリの乳搾り(ガッタラン村段々畑にて)
だいぶ前の事になりますが、テレビでジョー・モンタナという選手を見てからアメリカンフットボールを見るようになりました。
アメリカンフットボールというものは自分もそうだったのですが、ルールが難解という理由で敬遠する人が多く、日本ではまだ野球やサッカーのように浸透してはいないようです。でも彼を通して何回か見ているうちにこのスポーツ独特の面白さがわかるようになりました。
日本大学と関西学院大学のプレー中の出来事が大騒ぎになって悲しく思います。ただ選手自体の本来のスポーツマンシップというものは信じたいと思います。スポーツマンシップといえば、最近では平昌冬季五輪スケートでの小平選手の相手を思いやる態度、昔で言えばロサンゼルス五輪柔道で山下泰裕選手のけがをした足を狙わず敗退したエジプトのラシュワン選手など、他にも数え切れない例があります。技術的にも精神的にも極めて勝利するスポーツの感動も大きいですが、勝利を度外視とまでは言いませんが、その場の状況における勝利というものを超えた態度というものも大きな感動を与えるように思います。
(奈良産直・米田 寛)
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2018年8月 関西よつ葉連絡会
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