
畑に立ちつつ、新しい時代をつくる
塩見直紀(半農半X研究所代表)
(福知山公立大学地域経営学部特任准教授/総務省地域力創造アドバイザー)
●晴耕雨読と半農半漁
京都の胡麻で農的暮らしをしながら、夫婦で連弾をされるピアニストで有名なザイラー夫妻が『晴耕雨奏』という本を出されたのは1992年のことでした。当時、僕は大阪でサラリーマン。堂島の朝日カルチャーセンターで講演を拝聴しました。当時、僕は27歳。「晴耕雨読」を自分流に変え、「晴耕雨奏」とする発想に驚いたものです。
京都ゆかりの人で「晴耕雨読」を同じように1文字変え、新しい生き方を表現した方がもう1人います。「KJ法」という発想法で有名な文化人類学者・川喜田二郎さんは「晴耕雨創」ということばを95年の本に遺されています。
お二人は晴耕雨読の系統ですが、僕は半農半漁系。屋久島在住の作家、翻訳家の星川淳さんは伝統的な日本の暮らしともいえる「半農半漁」から、自身の生き方を「半農半著」と表現されました。20代の後半頃、僕はその言葉を知り、「21世紀の生き方はこれだ」と確信。著述業ができるとも思えないし、めざしているわけでもない。「自分なら何ができるだろう」と問うなかで生まれたのが「半農半X」という考え方です。
●半農半Xとは
半農半Xという言葉が誕生したころの時代背景。大きな出来事でいうと、ブラジルのリオでおこなわれた地球サミット(92年)や平成の米騒動(93年)と、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件(95年)のあいだ、僕が28~29歳のときのことです。
半農半Xとは誰かのためやマーケティング用語ではなく、生き方、暮らし方、働き方を悩んだ20代の後半、自分自身のためにつくった言葉です。半農半Xとは、持続可能な農ある小さな暮らしをベースに、「天与の才」(=X=得意なことや大好きなこと、天職、生きがいなど)を世に活かす生き方と定義しています。農の時間は1日の労働時間の半分でなくてもいい。朝だけ、夕方だけでもOK。面積も自分サイズでいい。市民農園を借りても、一軒家なら家庭菜園でも。通い農でもベランダ菜園でもいい。場所は田舎でも都会でもOK。土や植物に触れる。小さな虫を愛でる。「人間が一番」というこころを捨てる。レイチェル・カーソンがいう「センス・オブ・ワンダー(自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性)」を取り戻す。手作業の大事さ、手塩にかけることを思い出したり、大好きな場所で謙虚に、創造性をもって生きられたらと願うものです。
この「半農半××」という表現ですが、最近の発想ではありません。「夜明け前」で有名な小説家、島崎藤村は大正15年発表の小説「嵐」の中で、「半農半画家でいいじゃないか」という台詞を使っています。宮澤賢治は「半農半商」と、志賀直哉は「半農半医」と表現しています。

ふるさとの村風景(綾部市)
●東アジアにひろがる半農半X
おかげさまで拙著『半農半Xという生き方』は、手に取ってくれた若い台湾人女性によって、台湾にもたらされ、12年前、『半農半X的生活~順従自然、実践天賦』という題で出版されました。その本が中国大陸にもたらされ、5年前に出版。いまでは中国で講演したり、僕が住む京都の綾部まで中国人読者がやってきて、同じ価値観の方と友になる時代が到来しました。韓国でも出版され、東アジアすべてに伝わりました。半農半Xというたった4文字でつながれたこと、うれしく思っています。漢字文化圏ってすごいですね。
中国というと半農半Xとは真逆な世界と思う人もいますが、僕は中国と半農半Xコンセプトは親和性があると感じています。日本のような食べものの安心さが得られにくい中国。食べものへの信頼度が低い中国では、自分でつくるほうが安心、というのは自然な流れ、自然な考え方。家族や一族の生命を守るには半農半Xというのは極めて自然な発想だと思います。
いまから15年前、日本で拙著『半農半Xという生き方』が出版されたとき、どんな人が読んでいるか、データを見せてもらいました。そこでわかったのは、都会に住む20~40代の若い世代が特に読んでいるという事実でした。市民農園や家庭菜園など小さな農を始めるきっかけとして、やはり多いのは家族に安心な野菜を食べさせたいというシンプルな願いです。
●けものみちとバリ島モデル
『ウェブ進化論』で有名な梅田望夫さんが興味深いことを書いていました。インターネットが「学習の高速道路」となり、同じような知識をつけた人々によって、その先には「大渋滞」が待っている。そんな時代をどう生きるべきか。高速道路を降り、専門性をいかしながら「けものみち」を歩く生き方もあると梅田さんはいいます。確かに、時代はますます「けものみち」を歩める者に有利な時代になっていくのかもしれません。野菜を自分でつくったり、昔ながらの手植えや手刈りの田んぼを始めてみたり、味噌を自分でつくってみたり。「けものみち」時代を未来予測し、農的なアクションをしていくことはこれからますます重要です。
これからの時代をどう生きていったらいいのか。そんなことを考えるとき、いつも思い出すのが作家・宮内勝典さんの「バリ島モデル」というライフスタイルです。95年に出合い、大きな影響を受けてきましたが、この考えはこれからも僕を鼓舞するでしょう。
バリ島では朝早くから水田で働き、暑い日中は休憩します。そして夕方になると何をするかというと、それぞれが芸術家に変身します。毎日、村の集会所に集い、音楽や踊りを練習したり、彫刻や絵画に没頭。そして10日ごとに祭りがやってきて、技を披露し合います。そしてまた翌朝は田んぼで働き、夕方にはアーティストになります。
宮内さんは「村人一人一人が、農民であり、芸術家であり、神の近くにも行く。つまり一人一人が実存の全体をまるごと生きる」と山尾三省との対談集『ぼくらの知慧の果てるまで』に書きました。そして、「このバリ島モデルを、人類社会のモデルにすることはできないか」と。
農に携わりながらアーティストである。クリエーターである。何かを探究したり、ライフワークをもつ。分野は何でもいいのです。ここに日本の未来があるような気がしています。持続可能な農ある小さな暮らしをしながら、後世へよき文化を創造し、遺していく。僕はこの国の未来ビジョンをそんなふうに考えているのです。

草刈りをする塩見さん
しおみ・なおき 1965年、京都府綾部市生まれ、同市在住。フェリシモを経て、1999年、33歳を機に故郷の綾部へUターン。2000年、半農半X研究所を設立。21世紀の生き方、暮らし方として、「半農半X」コンセプトを20年前から提唱。著書に『半農半Xという生き方【決定版】』など。本は翻訳され、台湾、中国、韓国でも発売され、海外講演もおこなう。X応援のために、コンセプトスクールや綾部ローカルビジネスデザイン研究所、スモールビジネス女性起業塾などもおこなう。