また今年も山名酒造さんとの米作り、酒造りの交流会が始まりました。社町の古跡さんの所の田んぼでの田植えと稲刈の時には、10年以上にわたって、みなさんの昼食にかやくごはんを作ってきました。
大学で京都に来て、町の食堂で初めてかやくごはんに出会いました。大食漢でしたから町の食堂ではだいたいそばかうどんを、かやくごはんか丼物とセットで食べました。かやくごはんは朝炊いたものをジャーで保温したものですから味が落ちていたのしょうが、この頃はこんなものと思って食べてました。
3回生になった頃だと思うのですが、家庭教師先のお宅で、いつもは勉強がすんだ後におにぎりとインスタントラーメンをいただいていたのですが、ある日、炊き立てのかやくごはんを出してもらいました。うまかった。それまで町の食堂で食べていたのと違う。この時がかやくごはんとの本当の出会いだったのでしょう。2杯ばかりおかわりをした上に作り方も教えていただいて、その後サークルの合宿の時に炊事当番を買って出てみんなにふるまいました。かやくごはんのとりこになりました。
大学を出て、天六界隈で働いていた頃、梅田食堂街にある「奴」というかやくごはん専門店を知りました。カウンターだけの小さな店でイスに座っただけでかやくごはんとみそ汁とおつけものが出てきます。おだしといい、しょう油加減といい、ごはんの炊き具合といい、どれをとってもうまい。さすがプロ。家庭の味をよくここまでと思いました。何よりも客の入りがいいから常に炊き立てのものを出してくれていました。お昼時に梅田を通ることがある時は必ず寄りましたし、フィリピンへ行った時も、ハンガリーへ行った時もここで食べてから旅立ちました。
2000年の6月だったと思うのですが、土井たかこさんの社民党から辻元清美さん、北川れん子さん、中川智子さんの3人が衆院選に立候補しました。よつ葉も応援してたものですから、告示の日に北川れん子さんの選挙事務所に手伝いに行った時、お昼にかやくごはんをいただきました。れん子さんの友だちの主婦連中の手づくりでおいしかったのですが、この時に、かやくごはんは人がたくさん集まる時に便利なごちそうなんだと知りました。
それ以来、白米なら10Lも炊けるプロパンガス用の大きな炊飯器を買い、いろんなイベントでかやくごはんをふるまう行脚を続けています。炊き立てにこだわっています。
一時帰国中の5月12日。2010年から『地域・アソシエーション』誌連載中のお便りから、一冊にしたブックレット刊行にあたり、ネパール報告会がありました。かけつけてくれたのは、みな知っている方々で、報告会のようなほぼ僕を励ます会であったと、今思うところです。
移住して8年、僕はネパールで〝普通の農業〟を営んでいます。ここでの〝普通の農業〟とは。例えば、能勢農場が地域で稲ワラを集めて牛にやる、牛糞を堆肥として田畑に返す。それと同じことを循環型農業とか言わないで、一軒一軒どこの農家も当りまえに続けている、そんな農業です。
ネパールの小さな農家農村は、あれだこれだと、外からのご要望を良くも悪くも聞いているようで、ただ聞いているだけのような。外からのもくろみを聞いてない(効いてない)ようなあたりに、大きな値打ちがあったようにも思います。
それがどうも今では、外のある単一のある決まった方向の流れに乗り遅れまいと、急いでいるような気がします。僕の暮らす地域では近年、牛耕がトラクターとなり、草取りが除草剤となり、農地が宅地物件へと変容しつつあり、暮らしの中に、新しいモノ・考え・情報が良くも悪くもどんどん入ってくる時代となりました。
こっちの日常に戻ってきて、「ある単一のある決まった方向の流れ」に乗る時には、十分気を付けた方が良いのでは?と、そんなことを今度はネパールに向かっても発信してみたい、と今考え中です。
ネパール報告会での藤井さん
5月12日、よつ葉ビル
『ネパール・タライ平原で暮らす』
高知生まれの僕のじいちゃんは、亡くなる10年前に1冊の本を自費出版で残しました。『昭和史のためいき』と題されたその本には、戦争という荒波に翻弄される市井の人々の暮らしや、その中で青春時代を過ごしたじいちゃんの体験が、赤裸々に綴られています。
前線への出兵、その後、特高警察という権力の側に身を置いた大阪時代。じいちゃんの主観で語られる、命からがらの物語に、今、自分がここにいることの奇跡を感じずにはいられません。最後まで「いごっそう」を貫いたように思えたじいちゃんの、気弱な一面や、葛藤にふれ、今こそ、じいちゃんに聞いてみたい事がいっぱいあるけど、それはもう叶いません。
そんなじいちゃんが生まれ育った村は、高知の山奥、早明浦ダムのダム湖の底です。奇しくも本の出版のその年に、米軍の戦闘機が低空飛行訓練中に早明浦ダムの湖に墜落しました。今、じいちゃん夫婦のお墓は、そのダムを見下ろすように、山の中腹にひっそりと佇んでいます。どんな思いで故郷の村を眺めているのでしょう。
「ふるさとは 宇宙の果ての つるし柿」。じいちゃんの残した一句です。意味は分からないけど、響きます。
(京滋センター・光久健太郎)
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