少し前になりますが、カミさんといっしょに京都近代美術館のゴッホ展に行ってきました。平安神宮の大きな鳥居の横にある美術館です。ゴッホは日本の浮世絵から大きな影響を受けたそうです。北斎の富嶽三十六景、大きな波の内側に富士山を描くような、遠近法を無視した大胆な構図にひかれたばかりでなく、赤色をはじめとした原色の鮮やかな色づかいにあふれる光を見たのだそうです。当時ゴッホが模写した浮世絵も展示されてましたが、確かに紅が目立つ着物でした。私たちにとっては当たり前のような色彩が、オランダ生まれでパリで暮らすゴッホにとってはまぶしかったようです。先輩たちが描いた水蓮や踊り子たちの淡い光には満足しなかったのでしょう。そして南仏アルルへ移り住みました。ちょうど江戸と同じぐらいの緯度です。
無農薬バナナの生産者たちと交流するためにタイへ行った時、バンコクのホテルでいつものように4時頃目覚めたので散歩に出たところ外はまだ暗かったのに驚きました。昼前のギラギラ照りつける太陽から勝手に日の出は早いものだと勘違いしました。考えてみればバンコクあたりでは1年中お日さんは真上に近いところにあるわけですから、6時頃に出てきて6時頃に沈みます。夜はにぎやかですが、朝はひっそりとしてました。
もっと前に行った中国の瀋陽では早朝にホテルを出て散歩に出かけたところ、土地の人たちが朝ごはんを食べる屋台街にたどり着くことができて、このあたりは餃子をはじめとする粉モン文化ですので、実にいろんな粉モン料理を見ることができてワクワクしました。4時ちょっと過ぎだったと思うのですが、十分に明るくて街は沸き立っていました。日本よりさらに北にありますから、1年で日の出時間は刻一刻と変わっていきます。お日さんは常に南にあります。だから「天子南面す」という思想が生まれ、王宮を南向きに作り、王宮を中心に街全体を東西南北に沿って作りました。京都はそれをマネして作られています。バンコクの街はどちらが南かわからないし、てんでばらばらに見えます。
アルルに移ったゴッホは何枚もの絵を残しましたが、自画像にしても風景画にしても輪郭がはっきりしていて、色づかいがあざやかです。そういう意味では数々のひまわりの絵こそ、光を求めたゴッホの真骨頂だと思うのですが、それが1枚も展示されてなかったのはちょっと残念でした。友人のゴーギャンはもっと光を求めてタヒチへ行ったのかもしれません。
2015年のネパール大地震以降、ガッタラン村被災集落(標高2200m)を毎年訪ねています。そして少数民族タマンの知人らから、在来ヒツジの羊毛から紡いだ、硬くて粗い(ウール製品とは異なる)毛糸を、わずかですが直接買っています。一時帰国の際に持ち帰り、木の実がついたままの毛糸ですが、機織りされる高槻生協会員・原本さんに織っていただいております。
毛刈りは年2回。1回目は、寒季に中間山地でヒツジと移動していた羊飼いの男性らが、集落へ戻る4月。その後、植生豊かな雨季は、2日かけて4000m級の峠を越え、高山草地へ移動。すぐに解体できる簡素な仮住まいで寝泊りし、交代で村から食糧を運び、仲間同士で数千頭のヒツジを管理します。雨季が過ぎる10月、再び集落へと降り、羊毛が刈られます。そしてトウモロコシやジャガイモの耕作・土寄せ・収穫作業と同じく、ご近所同士で女性らが井戸端会議をしながら、子守りをし、労力を貸し借りするパルマ(結い・手間換え)によって、根気のいる糸紡ぎがされます。毛糸から、羊飼いの防寒着や敷物、温かい腰巻布が織られます。
ガッタランでは地震後、集落周辺2~3カ所に自然とできたグループで、瓦礫から食糧を持ち寄り、お店の食糧を村で買い上げ、けがの処置に薬草を利用し、7日間共同生活を続けた話を聞きました。その後、道路が開通し、救援物資の食糧やトタン・ブルーシートが配布され、それぞれ段々畑に仮住まいを自ら建て、過ごすようになったとのことです。
あれから3年。日本メディアの消費期限は既に切れましたが、段々畑の仮住まいで今も多くの人が暮らしています。ガッタランの人たちは、地震での被災と復興の遅れに失望・悲観しているのが現状です。一方で被災直後から、たくましく乗り切ってきたことも事実です。そこには、災害援助が来る前から、もともと自給をベースにした助け合い・地域社会・独自のネットワークが健在であったことが大いに関係している、と僕は思うのです。
女性が糸車で羊毛を紡ぐ
(原毛を子どもがほぐし夫が梳く)
今年も保養キャンプの夏がやってきます。昨年のキャンプ終了後には「保養キャンプ〝ロス〟」に陥ってしまって、「早く来年の夏がこないかな~。子どもたちに会いたいな~」とか考えていましたが、いざ夏が近づいてくると実行委員としての準備が大変。今年は昨年と違うプログラムを考えていたり、会員さんにも手伝ってもらうように段取りしたりと、昨年と違うことが多く、実行委員みんなで四苦八苦しています。
それでも参加した東北の子どもたちが楽しかったと喜んでくれるのなら、その苦労も吹き飛ぶというもの。また、保養キャンプに参加した子どもたちがキャンプ終了後、地元に戻ってどのように過ごしているのか、そして心身ともに変化などはあったのか、など気になる事ばかりです。
彼らの住んでいる地域では除染や復興はまだまだこれからも続きます。願わくば子どもたちが健康で元気に過ごしていますように。子どもたちに早く会いたいです(6面に関連記事)
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(兵庫いきいきコープ・田中一彦)
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