農業の本質は、資本主義と合わない
宇根 豊 (農と自然の研究所代表)
今年から、種子法と減反の割当が廃止される。私たちはこれまでに「種子は購入して更新すべきだ。田畑では異品種の混入は良くない」「田んぼは米をつくる場所だ。いい米を多くつくるのがいい田んぼだ」という誤った「常識」を、とうとう覆すことができなかった。
なぜなら、気づかないうちに足もとがずーっと侵食されてきたからだ。批判を向けている相手の思想に、じつは自分も馴染んでしまっている。近代化とは、資本主義のすごさとは、そういうものなのだ。種籾を自家採種していると、種変わりの稲を見つけることは毎年ある。それを自家の品種として選抜するのは、コストからみると割に合わない。まして自分で交配するなんて、「いい趣味ですね」と馬鹿にされる。こうして種籾は購入するものになり、やがて苗すら購入し、田まわりをする代わりに(田んぼを観察し、手入れの可否と内容を判断する)ICT技術まで導入しようとしている。
●百姓仕事は単なる労働ではない
JA全中の前会長は「これからは、百姓は一歩も田畑に入らずに、AI(人工知能)装備のロボットが農作業を行うようになる」と宣言した。労働は楽で短い方がいい、それどころか機械に任せて、百姓はモニター画面を眺めていればいい、と言っているわけだ。待ってほしい。百姓仕事は単なる労働ではない。儲からないからやめるわけにはいかない。作物や田畑が待っている。生きものの生があふれる世界が待っている、と言ってもいい。相手本位になり、手入れにはげむから、次第に仕事に没頭し、時の経つのも忘れ、そして我も忘れる。はっと我に戻ると、日も傾いている。もうこんな時間か、と気づく。労働時間などという意識はどこにもない。こういうひとときに資本主義は手を出せなかった。これまでは。
しかし、百姓の方がこういう幸せを売り渡そうとしているのではないか。仕事にも、作物にも、食べものにも、経済の尺度を適用することに、抵抗しなくなっている。小規模であっても田んぼを耕し続けるのは、経済的な尺度では測れないものを守るためだ。それを国家と国民が理解しないから、「減反問題」は未だに解決できないでいる。米が余っているのなら作付けしなければいい、というのは人間本位の、しかも経済だけの理屈だ。私の村でも、今年もまた数枚の田んぼが作付けをやめようとしている。そのために何が失われていくか、散々50年間見てきたのに、歯止めがきかない。
●農業を市場外で評価するしくみを
福島原発事故の放射能で汚染され、作付けが禁止された田んぼで、燕や蛙や虫たちのために田植えをした百姓がいた。その稲は人間に食べられることはない。しかしこれも立派な農業である。「農業は食料を生産する産業である」という程度の考えでは、資本主義に対抗できない。米の生産よりも、生きもののために、風景のために、村のために、そして仕事の嬉しさのためにやる、そういう農業もあることに気づかないまま、減反が続いてきた。
熊本市では減反田の水が地下水となって供給されているので、上流の市外の田んぼに支援金を支払っている。農業は飲み水も生産しているのだ。その田んぼに支払う金は税金であって、市場経済とは関係ない。
私が言いたいことに、やっとたどり着いた。農業は資本主義と本質的に相容れないのだ。なぜなら、仕事の相手が天地自然、つまり生きものだからだ、生きものは経済で生きているのではない。手間暇かけて種子をとったり、田んぼを守ったりするのは経済のためではない。EUの百姓の所得のうち、70%以上は、税金で補償されている。なぜなら、経済価値のないものを百姓に支えてもらうために、市場外で評価するしくみを政治が用意したからだ。
百姓は、自分のために言うのではない。生きものや田畑のために、天地自然や風景のために、地域のために、手間暇かかる仕事の技と情念を引き継ぐために、そして村や都会に住む人のために、「農業の半分を資本主義から外して市場経済ではないしくみで支えよ」と言うべきなのだ。
●農本主義のすすめ
私は決して新しいことを主張しているのではない。同じことを昭和初期に主張していた百姓たちがいたことを、どうしても紹介しておかなくてはならない。かつては悪名高かった「農本主義者」のことだ。まだ百姓が国民の半分を占めていた時代だった。このまま資本主義にのみ込まれていくなら、農の本質は破壊されてしまうと、本気で叫んだ百姓がいたのだ。「農業と資本主義は相容れない」とは、百姓仕事の中から産みだした思想だった。この気づきに、私は驚き、心から感嘆した。なぜ世人は、こういう百姓らしい思想を評価することなく葬ったのか、悔しくてならない。
時は流れ、あれからもう80年が過ぎた。資本主義が「投機」によって末期に近づいている現代にあって、彼らの思想はじつに鮮やかで、すがすがしい。詳しいことは、私の農本主義三部作のどれかを読んでもらいたい。
『農本主義のすすめ』
宇根 豊【著】
2016年10月刊 ちくま新書
288ページ 本体880円+税
農本主義三部作については
下記プロフィール欄を参照ください。
うね・ゆたか 1950年生まれ。福岡県農業改良普及員時代の1978年より、虫見板を使った減農薬運動を提唱・普及。39歳で就農。49歳で福岡県庁を退職。農と自然の研究所代表。「ただの虫」が田んぼでは一番多いことを発見。「生きもの調査」を広げた。主な著作は農本主義三部作『農本主義のすすめ』(ちくま新書)、『愛国心と愛郷心』(農文協)、『農本主義が未来を耕す』(現代書館)。他に『百姓学宣言』、『田んぼの学校・入学編』(農文協)、『農は過去と未来をつなぐ』(岩波書店)など。
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