今年のわかめも良質
大岸水産 徳島県鳴門市:わかめ
今年も2月から早採りわかめの水揚が始まり、3月中旬までにわかめの最終水揚げが終わりました。今季のわかめは例年に比べても引けを取らない良質なものができたのでホッとしております。
大岸水産のわかめの養殖を行っている粟田漁港の沖合は、昔は魚も豊富に捕れる地域でしたが、温暖化に伴う水温の上昇で魚の餌となる微生物が少なくなり、魚の水揚げも減少。現在では魚漁がほとんどされていない状況です。
なので自然と、わかめ専門の漁師さんが増えていきました。
そして鳴門わかめは全国でも良質なわかめが採れる産地として、知られるようになりましたが、近年心無い2次加工業者の産地偽装(中国産・韓国産を鳴門産と偽ったり、混ぜていたり)が行われるようになり、本来の鳴門わかめの価格が下落をおこし、われわれ鳴門のわかめ漁師の中では悩みの種になっています。最近では新聞やマスコミで取り上げられるようになり、行政の指導などでそういう業者は減ってきているようですが…。
また、後継者不足などで鳴門わかめの生産者が減少しており、それに伴って収量も減少傾向にあります。本当に良質でおいしいわかめをこだわって作っている生産者も少なくなっているようにも思われます。
きびしい現実はありますが、それでも私どもは皆さんに「おいしい」と喜んでいただけるわかめをお届けできるように手間暇を惜しまずに作っていきたいと思います。
(大岸 勇)
水揚げされたわかめを切り分けていく
安心安全へのお茶作り
かたぎ古香園 滋賀県甲賀市:お茶
滋賀県、琵琶湖の南部、甲賀市信楽町に位置する朝宮は、標高300~600mの高原地で、昼夜の温度格差が大きいなど高級銘茶産地の条件を備え、1200年の昔、最澄(伝教大使)が中国から種子を持ち帰ったことが始まりとされる、我が国最古の茶産地です。
お茶は、昔ながらの「浅蒸し製法」で仕上げており、朝宮らしい濁りの少ない明るくすっきりとした水色と適度な渋みと旨味、爽やかな香りが特徴です。
農薬不使用栽培を始めたのは1975年、農薬不使用栽培するお茶農家など当時は皆無でしたので手探りの状態での栽培でした。お茶は家族全員小さいお子さまから御老人の方まで毎日朝昼晩と飲んでもらうわけです。そこで、農薬を散布しないお茶の必要性を考えるようになりました。
当然お茶を農薬不使用栽培にすれば害虫や病気は大発生、途中幾度となく挫折しそうになりましたが、ただただ安全なお茶を届ける大事な気持ちを強く持ちながら耐え続けました。見通しがついたのが3年目。ようやくお茶の収穫ができた時の感慨はいまだに忘れられません。
以後、現在に至るまで農薬に頼らない自然の力と共に育てるお茶作り「自然回帰農法」を続けております。煎茶・ほうじ茶はもちろん玉露・抹茶・紅茶といったお茶も作っています。今後もおいしくて皆さまが安心してお飲みいただけるお茶作りを続け、この輪が広がっていきますよう努力してまいります。
(片木 明)
片木さん 標高300~600mの高地にある茶畑で
植物そのままを活かしたナチュラルコスメ
パルセイユ 福岡県遠賀郡:スウィーツソーパーシリーズ、石鹸など
私が学校を出て、まず就職した会社が合成洗剤・化粧品メーカー。私自身がアトピー性皮膚炎だったのですが、在籍中もなぜか、いくら病院に行っても治らない湿疹や頭皮の荒れなどに悩まされていました。
そこを退社し、自然派をかかげた商品を作っているメーカーに就職したのですが、一年経つといつの間にか肌トラブルが改善しているのに気づきました。化学成分が入っていない石鹸を入社から一年間使用していたからではないかと思い始め、この時期を境に石油系原料の恐ろしさ、石油系合成界面活性剤の人と環境に与える影響や対処方法などをさらに深く検証し独学で勉強を始めました。
知れば知るほど、以前使用していた石鹸が自分に合わなかったことがわかっていき、それとともに自分で納得できる商品を作ってみたいという思いが強くなっていったのが会社を設立するきっかけになりました。
そこからは試行錯誤の連続でしたが、開発で一番苦労した防腐剤も、天然ハーブの防腐力に目をつけ研究の末、自然由来成分にこだわった、植物が持つ本来の酵素・ビタミン・ミネラルなどをそのまま活かしたコスメを作ることが可能に。原料は工場のある芦屋町での人とのつながりでできあがった無農薬赤シソなど、高トレーサビリティの商品開発を進めていっています。
これからも皆さんに安心して使用していただけるナチュラルコスメを目指して研究し続けていきます。
(金井誠一)
芦屋町の赤シソも使われているスカルプシリーズ
「魔法使い」の心を継いで
真南風 識名さん 沖縄県:いんげん、ゴーヤ、おくら
沖縄中部にある世界遺産「勝連城跡」。高くそびえる城跡の眼下に立ち並ぶ農業ハウス連棟が識名さんの畑です。一度、沖縄に行ってこの観光名所に登った人は必ず目にしたはずです。
識名共史は、現在29歳、一昨年結婚をして、昨年末かわいい娘の父親になりました。
JAS有機農家で、現在の栽培面積は1町歩(ha)ほどです。栽培作物はトマト・ミニトマト・インゲン・玉ねぎ・ごーや・オクラ。就農して約10年、自立して約5年。そう、沖縄では有名な有機栽培生産者の2代目です。
父親は「畑の魔法使い」と沖縄のマスコミでとりあげられるほど有名。農薬や化学肥料は一切使用せず、購入資材も使わず、地元で手に入る材料だけで自然と作物の力を最大限に引き出すから「魔法使い」。大人になってほとんど視覚を失くしたことも全く感じられないほど畑を動きまわることもその呼び名の所以。「不耕起」「手作り酵素」も彼の代名詞でもあります。その父親が健在のまま経営の委譲を受けたのが5年前。
その共史の高校時代、訪れる父親の来客には挨拶どころか敵意むきだし。最近になってその訳を聞いてみると「敵の味方は敵ですから」との答え。
素直で寡黙な姿から想像できないほど負けん気で、「親父を超える」「親父とは違う農業経営」を作り上げようと日々必死です。でも「魔法使い」の心はしっかりと受け継いでいます。
(真南風・坂本勇一郎)
沖縄本島・識名共史さん
自然と共に学んだことを伝える
くまもと有機の会 熊本県:ごぼう、人参
私は現在水田ごぼうといちご栽培をしています。作っている場所は熊本県北部の菊池平野で、渓谷からあふれ出す清流により農地が潤っています。
1966年に農業高校を卒業し、後継者として農業に従事しました。今のようにスマホやパソコンで何でもすぐ調べたり、情報を入れることもできず、資材も選ぶことのできない手探りでのスタートでした。
その後、時代の変化で機械化・化学肥料による大量生産に切り替わりました。さらに1972年から73年にかけて基盤整備が行われると、今までおいしいと評判だった米がまずくなりました。そこで原因を考えてみると昔の人(先祖)が作り上げた生きた土の存在でした。
1976年には生産者と消費者による有機農業運動が始まり、くまもと有機の会の前身、熊本有機農業流通センターが設立され、顔の見える有機農業の始まりとなりました。
そして42年がたち今に至りますが、生きた土づくりに力を入れた結果、おいしい米・おいしいごぼうが作れるようになりました。この宝物を子ども・孫の世代へとつなぐことが自分の使命だと感じ、日々鍬を振っています。
体が動く限り私の心意気である「農魂汗愛」の精神でおいしくて安全な野菜をお届けいたしますので、これからもよろしくお願いいたします。
(牛島武文)
牛島武文さん
ビニールハウスと原発~経営から考える
アグロス胡麻郷 橋本 昭
ビニールハウスの復旧工事に追われて、春の進みの急激な今年は仕事が重なってしまい大わらわです。春夏秋冬、まあ、ゆるむことなく普段の仕事をしながらなので、ハウスの復旧仕事が余計にあるから当然といえば当然なんですが……。というのは2017年の冬は多雪の年でした。特に正月14日から15日にかけて我々の暮らす南丹市胡麻地域も70cm前後の積雪となり、たまたま外出しておった僕は帰宅できるか不安を抱くような降雪でした。その結果我々アグロス胡麻郷の保有・管理しているビニールハウス23棟のうち12棟が崩壊の憂き目に会ってしまいました。改めてビニールハウスについて考えさせられました。
農業は路地→ハウス→工場というふうに時代とともに現場が変わってきて、変わろうとしているように見えます。そこには経営の「安全・安心」への期待(欲望)が働いていると思われます。農産物が自然の恵みであると言うなら、自然の、気候の変化に左右される農業経営の安定(取り分け法人の)を求めることは矛盾になってしまう。そこで作り出されたものの一つがビニールハウスである。うちらの地域の新規就農者に対する経営指導はハウス何棟で経営計画を立てて進められている。このハウスに落とし穴がある。雪や台風による倒壊である。山村と呼んだ方がふさわしい胡麻地域は周辺に比べても積雪が多い。その故に数年に一度くらい規模はまちまちであるが雪に、あるいは台風によってハウスが潰される。
潰れるとどうなるか? どうするか?というといろんなケースがあるが小規模だと補助なし共済保険もでない。2017年のように規模が大きいと災害指定があって復旧工事に対して補助金(税金)が当てられる。6m間口、長さ50mくらいで200万円くらいはかかるとして、数年に一度雪や台風で潰されるとすれば年間4~50万円くらいは積み立てないと補助金なしの自立経営は望めない。ちなみにハウス1棟の年間売上げは菜っぱを作っているとしたら腕前と価格によるけれど3~60万円くらい。自然消耗のビニール代などは無災害でかつかつ、積み立てる余裕などない。ハウスが潰れれば経営も潰れる。補助や共済でなんとか続けるか、やめられないだけ、のケースも。
災害も何もない研究室の机上では成立するかもしれないけど、台風も地震も津波もあるのが現実である我々にとって、この近代が作り出したビニールハウスや、スケールと巧妙さにおいては違うけれど原子力発電などの生産装置が本当に我々に「安全・安心」をくれるものではないことは見えているのではないだろうか。ハウスメーカーや行政の人々の仕事は保証されるかもしれないけど、生産農家にとって本当に有利な技術や仕組みかは長期の貸借・損益として見る場合怪しい。
ほなどうするねんと言われても明快なものはないのであるが……。蛮勇をして繰り返し続けるのが人類の本態なのでしょうか……。
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