(その38) ラテン語なんて縁もゆかりもありませんが……
今から550年ほど前、まだドイツという国がなかった頃のドイツで、グーテンベルクが金属製の活字による印刷技術(活版印刷)を発明しました。それまでは本は手書きか木版印刷でした。江戸時代の日本と同じです。活版印刷によってそれ以降は本がたくさん出版されるようになり、なかでも『グーテンベルク聖書』は有名です。
それから50年ほど経って、やはりドイツでマルチン・ルターが宗教改革を行います。ローマの教皇庁が命令してくる免罪符の販売を拒否したのです。宗教家としての行為ですが、中央に対する反乱になります。そして、ルターがすごいのは、なんとドイツ語の聖書を作り広めました。それまでの聖書は全てラテン語で、ミサも讃美歌もそうで、いわばキリスト教世界における公用語はラテン語だったわけです。イスラム教のコーランは今でもアラビア語による表記や口唱しか認められていません。『グーテンベルク聖書』があったことと、グーテンベルクの活版印刷があったから、ルターのドイツ語聖書が生まれました。
映画『小さな恋のメロディー』の、主人公の友だちの男の子が先生に叱られるシーンで「ラテン語なんて勉強したって、お墓の中のローマ人と話ができるわけがないんだからバカらしい」とうそぶいていました。あらあら、イギリスでは小学校のうちからラテン語を勉強させられるんだとびっくりしたものです。エリザベス女王の国民向けの新年の挨拶はラテン語です。日本の島原の隠れキリシタンの里で唄いつがれている意味不明の歌も、ラテン語の讃美歌がもとになっているそうです。*①
ルターがドイツ語の聖書を作ったのは、キリスト教そのものへの反乱です。カトリックでは今でもラテン語が使われます。でも、ドイツ語を話す人々にとっては画期的なことでした。神の言葉が自分たちの日常生活に入ってきたわけですから、キリスト教がずっと身近になったと思います。そればかりか、いわば方言のような扱いを受けていたドイツ語そのものにも光が当てられ、その後のドイツ語による哲学や文学、あるいは歌曲の発展はこのことと無縁ではありません。
*①:現在のローマ法王はアルゼンチン出身で、日常語はスペイン語ですが、当然のことながらラテン語ができます。アルゼンチンのような辺境の地からでも頂上に立つことができます。また、ウィーンのハプスブルグ家で生まれたマリー・アントワネットがフランスのルイ16世と結婚できるのも、どちらもラテン語ができるからです。ベッドでもラテン語で語り合ったのでしょう。
日中、水牛の背はヤギの休み場
「もういくつ寝るとお正月~♪」と、子どもの頃にはクリスマスくらいから、まだかまだかと元旦を待ちわびたものでした。できなかったこと、悔しかったこと、失敗したこと、いろいろ振り返って、反省して、「来年こそはやるぞ!」と新年に誓いをたてたものです。
しかし、年をとるにつれてすっかりその気持ちは薄れてきており、お正月が来ても普段とそう変わらない自分がいます。
いつの日からこうなったのだろう。昨年できてないことがいっぱいあるのに。仕事や家庭のこと、いろいろ考えなくてはいけないことがいっぱいあるのに。これじゃいけないと、あのころの純粋な気持ちを取り戻すべく、新年のキリリとした寒さの中で自分を見つめ奮い立たせる。
今年の目標は、「キチンと暮らすこと」「より多くの人に会って話をする」「本を読む」「健康管理」「笑顔を絶やさない」「よく考える」「人に優しく」…と、かなり欲張りです。なにはともあれ、幸せで実り多い1年になればと願います。
(よつば農産・笹川浩子)
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