(その32)大人の世界でいじめがなくなったら子どもの世界でもなくなります
「子どもを変えたかったら、大人が変わることです。大人の世界でいじめがなくなったら、子どもの世界でもなくなります。みんな、一人ひとり違って当たり前、って口で言うけど、一番分かっていないのが大人でしょ」。「みんなの学校」の木村泰子さんの言葉を何度も何度もかみしめています。
いじめはなくならないとか昔からあったと多くの人が言いますが、今の大人の社会にはいじめがあふれていて当たり前のようになっているから、そう考えてしまう。学校では見える学力ばかりを仕込まれます。見えない学力(人を大切にする力、自分の考えを持つ力、自分を表現する力、チャレンジする力)はおざなりにされます。
パウロ・フレイレはこんな教育を「銀行型教育」と名づけました。教師は子どもたちの頭の中にある銀行通帳にせっせと知識を貯め込んでいきます。まっさらな通帳を持っている子どもほど書き込みやすい。何かにこだわったり、好奇心がいっぱいだったりする子の通帳は汚れがあるから書き込みにくい。そしてもっとやっかいなのは、そうやって貯め込まれた知識は個人の財産となって、お互いに譲り合ったり分け合ったりすることがないことです。たくさん貯め込んだ者が優秀で、貯め込まない者はさげすまれます。
豊田真由子さんが格好の話題になっています。あんなふうに人をののしるなんて驚きます。それともこちらが知らないだけで世間にはありふれているのでしょうか。彼女はあんな気風をどこで育んだのか。東大法学部をめざす過程なのか、東大法学部でなのか、その後の官僚社会なのか、アベチルドレンとして当選してからなのか。確かにアベさんもその取り巻きもみんな揃って攻撃的です。
イバン・イリイチによれば、近代以前の、つまり国がなかった時代の地中海世界では人々は今よりもっと自由に交流していたそうです。イタリアの都市にはいろんな所からいろんな言葉を話す人々が集まっていて、それでいて十分にコミュニケーションできていたそうです。近代になって学校で「国語」が教えられるようになったことでかえって、国語の違う者どうしのコミュニケーションがむずかしくなりました。知っている者と知らない者との間にカベが作られたからです。イリイチは「学校はあなた方が何も知らない無力な者であることを教える所」と言っています。
こんにちは、今号より編集委員になりました、ひこばえの辻田です。何かと小さい悩みの多い30代半ばですが、自分の体と向き合う機会が増えてきたように感じます。例えば食の好み、以前はあまり思わなかった白身魚がおいしいと感じるようになったり、野菜を妙に欲するようになったり、脂っこいものに体がついてこなくなりだしたり、良いようにとらえると新たな発見があるということですが、着実に体の変化を感じています。学生時代は体を動かす事が好きで、体力面では特に不安なく今まで過ごしていたつもりでした。が、この間とある検査にいったところ、数値を見た医師から「あなた、小学生に走り負けちゃうよ」といわれてしまいました。この日は調子が悪かっただけ、と現実逃避しながらも、最近の自分の生活をふりかえると、受け入れざるをえず…。育ち盛りの子どもたちに負けないように、これを機会に食事面や体力づくりを意識的に見直さなければいけないのかなと思いました。
また、小さい悩み事が増えてしまいましたが、少しでも改善できるよう、今年の夏を過ごしていこうと思います。
(ひこばえ・辻田浩司)
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