ひこばえ通信
2010年11月号(第292号)


第17回:いろんな菌にお世話になってます

 よつ葉のパン屋さんのひとつアロンさんで、焼いたパンが糸を引く事件がおきました。直ちに製造を中止し、専門機関に検査と分析をお願いしたところ、納豆菌が工場内に繁殖したのが原因だとわかりました。よもぎパンに使うよもぎを通じてやってきたようです。パンの発酵に欠かせない天然酵母より強く、パン生地にとりついて、納豆のような糸を引くことになりました。
 この話を山名酒造さんにすると「そうなんです。納豆菌は天敵ですから、私たちは食べることさえしません」とのことです。山名さんの所は家業として酒造りを引き継いできていますから、納豆を食べてはいけないことも語り継がれているのだと思います。
 一般には納豆菌はよもぎよりも稲ワラに棲んでいることが知られています。大豆をゆでてワラの上に寝かせておけば、自然に納豆ができあがります。納豆をワラで包むのはこのためです。関西でも農家では普通に自分の家で作っていたそうです。ワラも大豆もお手のものですから。しかも大豆は畦豆といって、水田の畦で作っていました。田植えの時期に種を播き、稲刈の時に収穫します。畦のような所でもできるのは、大豆の根には根粒バクテリア(これも菌です)が棲みついて、空気中の窒素を吸収して大豆に提供してくれるからです。肥料がいりません。こんなことができるのはこの菌だけです。また、大豆は虫がつきやすいのですが、畦で作れば田んぼのカエルが虫を取って食べてくれますから農薬もいりません。納豆と稲ワラは切っても切れない関係です。江戸時代の旅篭の朝食には納豆のみそ汁が定番だったそうです。これも関西でも。
 納豆菌を苦手とする酵母菌の方も、自然界にはいっぱいいて(種類も多く)、特に果物にはごく普通に棲みついています。ブドウ酒はブドウをつぶして寝かせておけば自然に発酵しお酒になります。皮もいっしょに混ぜれば赤ワインに、皮をとれば白ワイン、半分使えばロゼです。非常にシンプルです。だからこそ、どういう天候の時にどこで取れたブドウかにこだわるわけです。ブドウの出来がワインの出来に直結します。他の果実酒も同じことです。人類が最初に飲んだのは、森の中で自然発酵した果実酒だろうと言われています。
 一方、お米を原料とする日本酒は酵母菌だけではできません。酵母菌は糖を分解する力はありますがデンプンには歯が立ちません。糀菌の力が必要になります。糀菌がデンプンを糖に分解してくれて、次に酵母菌が糖を分解してアルコールを作ってくれます。二種類の菌の連係プレーですから、仕込みも何段階にも分けて、発酵の進み具合を見ながら、進めていきます。日本酒はひとつの芸術作品と言ってもいいぐらい、杜氏さんの技術と努力の賜物です。
 ただし、糀を作る技術は中国伝来のもので、それ以前は、蒸したお米をみんなで噛んでから吐き出した上で寝かせておいて、自然発酵させていました。人間のツバの中にはデンプンを糖に分解する酵素があります(糀菌も同じ酵素を作る力を持っているわけです)。醸す(かもす)という言葉は噛む(かむ)という言葉からできたそうです。ご飯は噛めば噛むほど甘くなるのもこの酵素の働きです。
 お酒の発酵が更に進むと酢になります。地産地消で生酒が流通していた時代には、日本酒を飲み残していつまでも置いておくと酸っぱくなったものです。菌が生きているからです。出荷時に火入れをするのは、それ以上発酵が進まないように菌を殺すためです。生酒を冷蔵するのは菌の働きを弱めるためです。ワインをどんどん発酵させればワインビネガーができて、りんご酢は一旦りんご酒を作ってからできるものです。