ひこばえ通信
2010年9月号(第290号)


第15回:お盆14日の朝は粥といとこ汁

 これは何かと言いますと、13日の夕方にお墓で迎え火を焚いて連れ帰った精霊に対して、14日の朝はお粥といとこ汁(味噌)をお供えしなさいという、お寺さんからの教えです。ちなみに愛知県豊橋市のわが家は禅宗のひとつ臨済宗妙心寺派です。いとこ汁の具はササゲ(インゲン豆の長いやつ)・ゴボウ・椎茸・里芋・ナス・シロテンコ(小豆より更に小さい白い豆、ぼく自身は食べたこともない)・かんぴょうとありますから、具だくさんのみそ汁みたいなもんでしょうか。
 この教えには、まず13日の夜、水と白だんごで迎えて、14日と15日の朝・昼・夕にそれぞれ何をお供えするか実に詳しく書かれています。しかも、15日は最後一夜だからでしょうか、夜食として「米から煮た雑炊(里芋・ナス・ササゲ)」を供え、日付の変わった16日午前1時に出立の振舞をして、送り火を焚きます。出立振舞は「ごはん、もみな汁(味噌をすり火にかけず生のままの中へ実を入れてしあげる)と白だんご」とあります。冷たい汁を振舞うのは出立前で忙しいからでしょうか。それでも帰りはナスで作った牛に乗せて送ります(迎える時はキューリで作った馬に乗って急いで来てもらいます)。
 白だんご・お粥・ぼたもち(あん・きな粉)・雑炊、そして普通のごはんと実に多彩です。15日のお昼だけ、米食ではなくそうめんを出します。白だんごは縄文時代のイモ文化を偲ぶものと言われていますし、お粥は昔の庶民の常食でした(貴族はおこわ、武士がごはんです)。ぼたもちはごちそうです。精進料理ですから魚も含め動物性のものは一切登場しません。野菜だけです。意外なのは豆腐類も見当たらないことです。お盆で豆腐屋さんもお休みだからでしょうか。法事の時の定番に大きなヒロウスを甘辛く煮たのがあって、ぼくはこれが大好物でした。
 豊橋で暮らす母は86才になります。たぶん。父はこの前17回忌をおえました。その父の初盆の時にお寺さんからこの教え(手書き)をいただいたそうです。抹香くさいことが嫌いだった母も仏心がついてきたのか、去年あたりから教えを意識してお供えするようになりました。それでも根がいい加減(ぼくもその性格を引き継いでいます)ですから、「南瓜のうま煮」とあるところをじゃがいもですましたりとか適当にやっています。
 京都名物に湯豆腐があります。東山の南禅寺と嵯峨の天竜寺界わいに観光客相手のお店がたくさんあります。どちらも室町時代から栄える禅宗の大寺院です。禅宗と豆腐は切っても切れない関係にあります。禅宗を中国から日本に伝えた開祖の栄西は同時にお茶も持って来ました。当時は抹茶で飲みました。『喫茶養生記』を著して茶の種類や製法から効用を説いています。現代でもウーロン茶を含めお茶の効用についてはテレビや新聞の広告で様々に登場します。
 今ではほとんど食べなくなったタクアンは沢庵和尚の名前が由来です。禅僧の食事の基本はごはんと一汁・一菜・香の物ですから、禅寺にとって漬物は必需品です。大根を干して、ぬかと塩で漬けるわけですから、単に保存食というだけでなく、栄養豊かな食べものです。干して紫外線に当てることで甘味が増します。ぬかからは脂質やアミノ酸など様々な栄養素をもらえます。そして発酵させることで乳酸菌もたっぷりです。生の大根を調味液につけただけの黄色くて柔らかいタクアンを見たら沢庵和尚もがっかりするでしょう。沢庵さんは京都紫野の大徳寺の人。吉川英治の『宮本武蔵』にも登場しますが、こちらはフィクションです。
 宇治に黄檗山・万福寺という禅宗(黄檗宗)のお寺があります。中国の福建省にも全く同じ名のお寺があって、こちらが本家です。江戸時代初期に衰退した禅宗を復興させるために中国から中国から隠元(いんげん)禅師が招かれて作りました。いまも修行がきついので有名です。隠元さんが持ち込んだのがインゲン豆と煎茶です。禅宗では禅と読経と精進料理は全て修行のうちと考えてきました。
 玄米菜食で、悟りを開けばストレスもなくなるわけですから、健康で長生きするための条件が揃っています。