第12回:稲・米・飯についてのあれこれ
お米はイネという植物のタネです。この時期、前年に収穫したもののうち、できのよいものを種モミとして残しておいて、発芽させ、苗を育て、田植えをしてイネに育てます。お米には次の世代を生み出す生命力が備わっていて、私たちはそれをいただきます。お米を水と混ぜて炊くか、蒸したものが飯です。飯にもいろいろあって、水分の多いものは粥(カユ)と言いわけています。
奈良に住む人たちは今でも朝はお粥を食べるそうで、お茶で炊いた茶粥が好まれます。一度食べてみたいと思ってます。朝早く、ゆったりとした気持でお茶の香りとともにお粥を食べる、いいですよね。今年は平城京ができて1300年になりますが、貴族も庶民もお粥を食べていました。ただし、庶民の場合は七草粥のように野菜を混ぜたり、アワやヒエなどの雑穀を混ぜたりしていました。貴族は、強飯(コワイイ)と言って、ちょっとぜいたくにお米を蒸したものも食べました。おこわや赤飯に似たような食感でしょうか。
現在のようなご飯は、平安時代末期の関東の武士団の間で食べられるようになります。西国の貴族が食べている強飯へのあこがれか。新田開発で豊かになったためにお粥の水分を減らしたのか。お粥では戦闘のためのパワーが不足したのか。現代では、ご飯を炊く時、ガス釜にしても電気釜にしても土鍋にしても、水の量が指定してありますから、それに合わせるだけです。世界中の穀物の中で、お米ほど水と相性のいいものはなくて、水加減で好きなように食べられます。
普通のご飯で、米と水の量が同じです。1合のお米に対して1合の水。古米の場合は水を2割増。お粥であればさらに2割増。つまり、1合のお米が、2号のご飯に化けるわけです。カロリーも栄養分もいっしょですが、満腹感が違います。パンやうどん、ラーメン、パスタなど(小麦食)は水をほとんど使いません。1合の小麦粉でせいぜい1割増のパンしか作れません。生地を発酵させて増量させますが、空気でふくらんでいるだけです。トウモロコシを主食にしている中南米でも、小麦と同じように粉にしてパンのようなもので食べています。
電気釜もガス釜も土鍋もなくても、お鍋があればご飯は炊けます。計量カップもいりません。適当な容器をみつけて、お米を一杯はかって鍋に入れ、その後で同じ容器一杯の水を加えて火にかけるだけです。火加減は、始めチョロチョロ(弱火)、なかパッパ(強火)、ピューピュー噴いたら火を引いて(ごく弱火)、赤子泣くともフタとるな、です。いちばん大事なのは最後の「赤子泣くともフタとるな」のようで「蒸らし」です。この頃は余分な水分はないわけですから、「蒸らし」というよりは「焼き」と言った方がいいかも知れません。鍋にしっかり鼻を近づけて、こげるにおいがかすかにしたところで火を切ります。
日本に稲作文化が朝鮮半島から伝わって来る前には縄文文化がありました。稲作文化を持って来たのを弥生人と呼ぶとしたら、それ以前の人たちは縄文人と呼んだ方がいいかも知れません。
青森の三内丸山遺跡で明らかになりましたが、単なる狩猟採集ではなく、栽培農業もやっていました。里イモです。ハワイからミクロネシア、ポリネシアの島々を経て沖縄、日本へと続くタロイモ文化です。西郷隆盛と武蔵丸の顔が似ているのは偶然ではありません。お月見のダンゴは、新しくやって来たお米の粉で、かつて食べていた里イモを模して作ったものだと言われます。東北地方では、秋になるとイモ煮会がありますが、これも東日本に残る縄文文化を呼びおこす風習かも知れません。 |