ひこばえ通信
2010年1月号(第282号)

「ゆっくり」「一緒に」は“ご飯の時間”だけじゃない!
お料理を楽しもう
河西祥子(編集委員)

▲今年から広島県の瀬戸田農場で
畜産に取り組んでいる河西さん

おばあちゃんのご飯

 うちでは仕事で忙しい母の代わりに、主におばあちゃんが食事の用意をしてくれた。その時「遊んでんやったら手伝え」と野菜の皮を剥いたり、酢飯をパタパタ仰いだりさせられた。「昔はお金がなかったから、何でも自分たちで作ったもんや」から始まる昔話や世間話を聞きながらやるので、2人でやると6人分もあっという間。
そんな中「味噌って家で作れるもんなんや」。「出来立ての豆腐ってそんなにおいしいんや」。「栗の皮むきってめんどくせー…」。また、横で見ていると「これはこんなふうに作るんや」。「今はこんな便利なもの(だしの素)ができているけど、ほんまはこんぶで出しとるんやで」って教えてもらった。味見が楽しみだった「ちょっと甘いか? ほな醤油足そうか」。少しのことで味がよくなる。そりゃ面倒くさいこともしばしばあったが、このときの経験が今の私のベースになっていると最近よく感じる。

“スピード料理”の広がり

 “スピード料理”が広まってきたのは、家庭を離れ仕事をする女性が増えてきた高度成長期の頃だそう。家事をする時間を省くために”スピード料理”は必要だった。だけどそのニーズに答えて、化学調味料や冷凍食品をはじめ、カット野菜、加工食品などが広まってきて、むしろそれがスタンダードになってきた。

“料理が出来ない””食に興味のない”同世代の友だち

 そこで私が危機感を感じるのは、お母さん以前の世代と私たちとの大きな違い。お母さん以前の世代は味の素もだしの素も無かった時代を経験しているが、私たちの世代や次の世代はその味が生まれてからしか生きていない。それに加え、”スピード料理”が多く、本当の工程を知らない人が多くなっている。だから料理を前にしても作るのにどれほど大変かイメージ出来ない、また、作ろうとも思わない。自分の舌に自信がないのでラベルやブランド、人の評価ばかりを頼りにする。
 しかし環境からいうと「最近の子は料理も出来へん」というのはある意味仕方の無いことではないか。だけど、そんな人たちがそのままお母さんになったら…?

一緒に料理をしよう!

 日々の生活の中で、子どもたち(大きくなっても)と一緒に料理をしよう!
 毎日でなくてもいいので、月に一回、週に一回でも。”スピード料理”でなく一から全部。コミュニケーションの時間としてもとても有意義だと思う。
 特別な料理ではなくて煮物、汁物、栗の皮むき、季節の仕事など、普段のご飯を。失敗も一緒に。
 料理を仕事でなくて、親子の楽しみの時間に変えると、いいこといろいろではないでしょうか。


第7回:今月の「いい話」

 11月号の『めざせ! 半歩先』のMちゃんの話、いい話でしたよね。お母さんが教員で忙しくて、夕食はいつも車に乗り、ファミレス巡りで、手料理を食べた経験がほとんどなかったとのこと。びっくりもしました。
 ぼくは男としては料理をわりとやる方ですが、子どもの時の経験が土台になっています。父と母は戦争が終って民主化がすすむ中で結婚して家庭を持ちました。「男の子も家事をしなきゃいけない」というのが母の口グセで、よくお手伝いをしました。おかげで学生時代にはサークルの合宿でみんなにかやくご飯とみそ汁を食べさせてあげて喜ばれるほどになっていました。
 編集委員の河西さんもお母さんが教員で忙しくて、おばあちゃんにいろいろ教えてもらったそうです。今回はそんな彼女の話を聞いてください。
 12月号の4コマまんが『ちゃぶ台ラプソディー』も親子クッキングの話でした。これもいい話ですね。