食はコミュニケーション―私なりのべジタリズム編
世界の子どもが幸せであるように 西田祐一(淀川産直) 「よつ葉職員の食生活に迫る」シリーズの3回目です。今回登場していただくのは編集委員の西田さん。よつ葉歴4年の彼は入社前からのベジタリアン。そのきっかけを聞くと、温厚な印象の彼の口から波乱に満ちたストーリーが……。自然の一部としての人間は、たえず栄養摂取していなければ生きていけません。そして人間が自然を加工するようになってからは、食は自然と文化の両方にまたがる行為となりました。他者との関係や生きる意味もいっしょに食べるようになったと言っていいかもしれません。しかし食べるたびに考え込んでいては日常の繰り返しに耐えられませんし、楽しくもありません。生きる限り続く「食べること」に西田さんはどう向き合ってきたか、まとめていただきました。(編集部) |
思えば私の人生のテーマは“幸せとは何か?”ということでした。20歳位までは幸せとは各個人の自己満足であると結論付け、まじめに生きることの無駄について考えていました。自分のやりたい事をする以外に他人の事や社会のあり方などは全く無意味なものだったのです。 きっかけは断酒 では、なぜベジタリアンになったのか? きっかけは、断酒(禁酒ではありません)でした。25歳で結婚をし、仕事に追われる毎日に嫌気が差し、ストレス発散、現実逃避の飲酒を繰り返していましたが、結婚して1年半経った頃でしょうか、深酒が原因で妻が実家に戻ってしまいました。結婚は幸福の要因ではなかったのか? 幸せとは何なのか? 両親をはじめ、多くの友人や知り合いに祝福されて結婚したにも関わらず、どんどん結婚を否定していく結果になってしまったことを悔いました。これは断酒をする以外にないと判断しました。 周りが幸せであってこそ それからというもの、暇さえあればいろんな本を読むようになり、幸せとは何かということについて考えました。哲学、宗教本、自己啓発書、心理学、自然科学などいろんな本を読みあさり、生きることや幸せについてもっと深く考えるようになりました。そして自分の幸せは自分の周りの人が幸せであって初めて存在するし、その輪が広がるには世界が幸せである必要があるという見解に至りました。 家族との時間が宝物
家族は普通の食事なので、煮込み料理などは別々に作ってくれています。頭の下がる思いです。この様な家族の協力のおかげもあって、ベジタリアンになってからは精神的にも日常生活においても健康に過ごせていますし、二人の子どもにも恵まれて、一人っ子で育った私には賑やかな家族と過ごせる時間が宝物です。 上の子は小学生になり、父親がお肉を食べないということに疑問をもち始めました。「お父さんはなぜお肉を食べないの?」。自分の思う理由を述べて、子どもの意見を聞きました。無理強いはしません。本人が正しいと思わなければ意味がないと思うからです。「じゃあ、私も牛さんが可哀想だから二週間だけお肉食べないようにする」。何かを感じて考えてくれた答えが非常に嬉しかったです。 わが子が幸せであるのと同じように世界中の子どもたちが幸せであるようにと願っています。そんな幸せのあり方が私なりのベジタリズムだと考えています。 |