2005年3月号(第224号)

よつ葉連続討論会「よつ葉有機」
講演「一袋の虫食いなっぱから何が話せるか?」
根菜生産者交流会を開催 よつ葉有機めぐり議論白熱
暮らしからの政治(9)市営駐輪場の大幅値上げに市民の怒り
野良仕事のひとりごと  山のあなたの空遠く…
産地を限定、生産者がわかる 兵庫丹但酪農農業協同組合
会員取材レポート 北大阪エコネット
グループ自己紹介 くらしを見つめる会
会員のひとりごと 「ようこそ陽子さん」秘話
おたより掲示板 「じょうぶな子どもをつくる基本食」
共済だより 大阪でヘルパー講座
にんじんクラブ収穫&交流祭
新米百姓奮闘記 その(4)
海からの便り 第18回 ヒラメ漁とパンダ



2/4 よつ葉連続討論会「よつ葉有機」
講演「一袋の虫食いなっぱから何が話せるか?」

講師 橋本昭(アグロス胡麻郷)

 よつ葉の配送センターの職員を中心にすすめられてきたワーキングチームの連続討論会も、今回で8回目となりました。誰かに設定してもらって受身で参加するだけではなく、また立派な結論を出すことが目的でもなく、職員自身が計画・立案し話し合うことで、お互いの見識を深め合おうという新しい試みでした。昨年の春から「クレーム」「賞味期限」「トレーサビリティ」「よつ葉有機」と各テーマごとに講演会・討論会を重ねてきました。今回は以下に要旨を掲載した橋本昭さんのお話のあと、野菜をテーブルに置いてパネラー11名がパネルディスカッションをし、それを約100名の参加者が囲んで話し合いました。最後の寺本さん(司会・能勢産直)のまとめの言葉が心に残った討論会でした。「よつ葉有機」基準も「生産者憲章」も、生産者をしばるためのものだと思っている人もいるんじゃないか! そうじゃないんだ! どちらも生産と消費の中間で働いている僕たち自身が考え実践していくものなんだ。毎日自分たちが配達しているもの、流通させているものが何なのか、もっともっと自覚しなくちゃいけない!……橋本さんの静かなお話と熱い討論会のコントラストが印象的な集まりでした。


 僕は京都市内で生まれ育ちましたが、29歳のときに船井郡日吉町という所に移り住みました。30年ほど前のことです。有機農業を興したいとか大それたことを考えていたわけではありません。街中でいたずらや悪い事も一杯したあげく、いっぺん生活の基本をゼロからやってみようやないかとふと思い立ったのです。
山の中の谷間に土地を求めて、水を引き家を建て、田んぼや畑を作ったり、鶏を飼ったり、どじょうを集めてきて放してみたりし始めたのです。
 当初はどないして生活していくかなど深く考えもせず、自給自足のような生活でした。やがて米や野菜を作ってそれを食べてもらうようになり、村の方々との付き合いも広がっていきました。そして地域とのつながりの中で耕して、種をまいて、作物を作ることを村の人と一緒に始めました。18年ほど前からそういうことが始まり、今も名前になっているアグロス胡麻郷を作り、今日に至っています。

作るということ


▲講師の橋本さん(左)と司会の寺本さん

▲野菜をテーブルに置いてパネルディスカッション

 自給から始めましたから、よつ葉と関わらしていただいたのは途中からです。しかし「よつ葉憲章」や「よつ葉生産者憲章」には僕の感覚と近しいことが綴られていると思っています。「私達は『食べ物』は『生き物』という考えに立ち」というあたりは「そやな」と思います。
食べ物として考えることと、それを商品として考えることとの間には少しばかりの亀裂がありまして、このあたりが問題になる点だと思います。一方ではこんなもん商品になるか、お金をもらうのに何考えてんねやという話しになる。他方ではどんな野菜でも米でも手をかけて作った物だから、もったいないもんや、命のあるもんやということになる。これを解決しようというのは考えも及ばない話だけど、その間を揺れながら今までやってきたような気がします。
 今の時代は商品経済が当たり前ですが、これは食べ物から出発したものではありません。自動車に代表される工業生産のなかで大量生産技術が開発され、コストダウンが可能になったあたりから大量生産・大量消費という考え方が広がり、その波が農業生産にも及んだのです。そしてよつ葉有機の一つのポイントである安全性という問題とぶつかるようになったのだ思います。
 それから農産物の場合は特に流通が問題になります。中央市場でこういう野菜をある時期にこれだけ揃えてもってこいみたいな考え方が広がってくる。さらに消費者ニーズを背景に流通が主導権を握って産地形成するという考え方になってくる。そして田舎では、キャベツが向いている地域ではキャベツばかりを大量に作るようになる。するとモンシロチョウがわんさか涌く。それに薬をかける。こんなサイクルができてどんどん農薬をまく仕掛けになりました。
 こうして化学の発達とともに農薬も発展してきたのですが、70年代からその安全性が問題にされ始めます。まずアメリカで指摘が起こり、日本でも水俣とかイタイイタイ病とか公害問題が出てくるのと同じ時期に、農薬も社会的な問題とされるようになりました。その頃は薬をまいていて亡くなったり、身体を壊す生産者がたくさんでました。
 こうした歴史があって、今では安全な野菜が欲しいというのが当たり前になり、運動の成果もあって農薬を規制する動きが出てきているのです。
 しかし根本的には農薬規制だけで解決できる問題だとは僕には思えません。何百年にもわたって人間の都合で品種改良を重ねて、作物という人工的な植物を作り出している僕らが、食べる側も作る側も、そういう流れの中にあるということをまず素直に認めるところから考え始めるべきなのです。目の前のことだけじゃなくて前後左右上下色々なことをお互いのこととして考えていくのが、安全性、農薬という問題についてはいいんじゃないかと思います。

農村の実情

 田舎には、ご存知のとおり若い人が少ない。戦後の農政の歴史で言えば、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんの「三ちゃん農業」という時代がありました。そのうちかあちゃんはパートに出て、じいちゃん、ばあちゃんは年を取って70過ぎから80になっています。うちの村でも次々と葬式があります。それで田んぼや畑は今後どうなっていくのや、というのが不安な状況です。
 日本は食料の40%しか自給できていないと言われています。この数字と田舎の実情とを考えますと、町中にあふれている食べ物の6割が外国産で、残りの4割の生産も危ういということになります。若い者が年をとるのですから、じいさん・ばあさんの補給はできるはずですが、農業の場合はできていません。3Kが嫌われるのですが、一番大きな問題点は不安定ということです。自然災害とか、気象異常でぽんとゼロになったりするわけです。計画生産も工業のようにはできません。そのうえ日本には奈良朝時代ぐらいから百姓を蔑視する思想があったりして、担い手であるじいさん・ばあさんの補給ができない状況です。一方では新規就農とか、跡継ぎさんが入るという流れがポツポツありますが、全体から見ると非常に危ういという印象です。
しかし百姓は御先祖から受け継いだ山や畑や田んぼを持っていて、そうやすやすとやりたくないと言っているわけではないのです。簡単な話で、食っていけないから跡を継ぐ人がいない。食っていける体制さえあれば、今の耕地面積や技術からすれば100%とは言わないにしても6割や7割の自給なら達成できるだろうと僕は思います。それが食料の安全保障問題や生態学的環境論の観点からみても自然なことだろうと思います。

何が話せるか?

 会員さんにお届けしたものに虫食いのなっぱがあったとします。そこで「あの生産者のばかは」とこうくるのか、「よっぽどうまいから虫も食うたんかい」と考えるのか。今日の話は、こっちが◯、こっちが×だけじゃないふくらみみたいなものも含めて、生産者、配送員、会員さんの間でいろんな話をするためのヒントになればと思います。