しらたかノラの会(山形県西置賜郡白鷹町)
しらたかノラの会10 周年を振り返って… そしてこれからの10年
しらたかノラの会は、今年で結成10周年を迎えた。10年を振り返ってみると、あっという間とも言えるし、その一方でいろんなことがありすぎた10年間のような気もする。
結成から3年目までは右肩上がり。伸びるしかない感じで勢いに乗っていった。ところが2008年のリーマンショック。最初は世間が騒ぐほどの影響はなかったが、あとあと少しずつ効いてきた。
その後、2011年の東日本大震災と原発の放射能汚染。これは精神的、経済的にダブルパンチで襲ってきた。しかし逆にこのときに、事業活動とは別に、人が人として生きるために、地域で生きていくために必要なことを追求していこうと、「ノラのねこの手基金」の活動を開始した。放射能汚染によって、長年続けてきた有機農業の根底が覆されるような事態を受けて、私たち一人ひとりに突き付けられた課題を考えた。
そして2012年から13年にかけては、「福島百年未来塾」をAPLA(Alternative People's Linkage in Asia アジアの農民交流を推進する民間団体)に協力するかたちで6回おこない参加した。
2013、14年には白鷹で豪雨災害。「白鷹は、災害のないところだ」と言われていたのに、2年も続けて被災した。山の木はなぎ倒され、河川の堤防は決壊し、土砂が流入する家屋が出た。そんな豪雨災害が、毎年どこかで起きてしまうような日本列島になってしまった。そして今年の熊本大地震。
しらたかノラの会は10年1期を終えて、これから2期目に入る。農業問題、山林問題、環境問題、地域の問題と山積するが、これらの問題はバラバラではなく、連関がある。豪雨災害を機に山林の問題も注目され始め、山に手を入れる作業が始まった。私も初めてチェーンソー片手に山に入った。
食は人間が生きていくのに、なくてはならないものである。どんな時代がきても、生きる基本に農がある。これは未来も変わらない。このように大事な食の生産と長年培われてきた食の加工の技を、自分たちも引き継ぎ、これからの人たちへ引き継いでいく。会員交流や林間学校など、土に触れる場を若者や子どもたちに提供している能勢農場のような働きが、大事な時代になってくるのではないかと思う。
(しらたかノラの会 大内 文雄)
しらたかノラの会の皆さん(後列左端が大内さん)