父(大澤忠夫)と母(つた子)は、43年前に水俣病患者の支援で京都から水俣に移り住みました。当時は水俣病事件で海を奪われた漁師が陸に上がり、生活の糧として甘夏みかんを作り始めていました。移り住んだ父母が出会ったのが、自身も水俣病の病魔に侵されながら無農薬で甘夏みかんを栽培する患者さんたち。そして、ともに立ち上げたのが反農薬水俣袋地区生産者連合(略して反農連)という団体でした。以来反農連は、主に患者さんが栽培する甘夏みかんの販路を開拓しながら、みかんを通して水俣病の現状を伝えてきました。この反農連を立ち上げた原点の想いと場所にもう一度立ち戻ろうと、昨年10月に新しく立ち上げたのが「からたち」です。
「からたち」というのは、ほぼ全ての柑橘に使われている接ぎ木の土台になっている柑橘の名前です。からたちのように、生産者と消費者をつなぐ土台となり、水俣病患者さんが植えたみかんを今後も後世へつなげたい。そして、自然に負担をかけない栽培を貫きながら、実ったみかん一つ一つが水俣を伝えていけるように、大地に根をはった存在になりたいとの想いから、この名前をつけました。取扱商品は無農薬の柑橘類を中心に、みかんジュースやちりめんなどの海産物。僕自身、畑で甘夏を栽培しつつ、からたちへの出勤前の時間を利用して、杉本水産でチリメン漁の手伝いをしています。昔ながらの釜揚げ製法と潮風で乾燥させたチリメンは旨味と風味が味わえる一品です。
一方、水俣を伝えるという意味で、海のアクティビティ(カヌー・磯遊び)も交えながら、患者さんの語り部や資料館を見てもらうツアーも企画しています。これからは商品の販売だけでなく、水俣を見て、出会って、感じるツアーなども積極的に企画し、全国の消費者の皆さんと顔の見える交流を進めていきたいと、考えてのことです。
生産者はこれまで約40年間、無農薬栽培で甘夏みかんを栽培してきましたが、昨年からは農薬だけでなく有機肥料も与えない、自然栽培にも取り組み始めました。有機肥料でさえ、与え過ぎると窒素過多になり、土や樹の健康が損なわれていきます。「より早く、より多く」を目的とした窒素分を多く投入する栽培から離れ、自然の肥料分が最大限に植物の力を引き出す自然栽培の技術を今後磨いていきたいな、と思っています。
(からたち 大澤 基夫)
2017年『life』310号
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