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かんじゃ山椒園(和歌山県有田郡有田川町)

 



日本人と山椒の関わりは、縄文時代に遡ります。縄文の遺跡からも山椒の痕跡が見られるようです。当時猪や鹿の生肉を食べていたと推測されますが、おそらく体内の寄生虫を駆除することを経験的に知っていたのでしょう。以来、多様な使い方で長年にわたり山椒を活用してきました。山椒の香りを嗅ぐと、何か懐かしい感じを覚えるのは5,000年もの時が、日本人のDNAに組み込まれているからかもしれません。

わが和歌山との歴史は、西暦900年頃の延喜式の記述に「紀州秦椒 三升」との記述があり、このころより紀州の山椒が特産であることが記録上も覗えます。推測ですが、さらに遡って空海が高野山を開いたころ、すぐ西に位置する有田川町周辺をも訪れ、自生する山椒が有益であることを説いたのではないか、それからこの辺りの村人は山椒を大切にしてきたのではないかと考えています。

その後、江戸期天保年間のころ、今の有田川町遠井地区の農家の庭先に大粒でブドウの房のようにたわわに実る山椒が突然変異により生まれました。これがいわゆる「ぶどう山椒」(品種名)の発祥であり、今日まで大切に受け継がれています。以降この地域の農家の収入源の一部を支える貴重な品目の一つとなってきました。

今日の山村地域は、現代社会の常識から考えると、平地が無く交通の便も悪い最悪の環境と思われがちです。実際、若者が定着せず高齢化が著しい状況にあります。しかしながら、いわゆる“産業革命”が始まる近代以前はどうだったのでしょうか? 当時は平地で農地を拡大するには相当の労力を要したと思いますが、山間地であれば傾斜地をうまく利用した水利や、山からもたらされる天然の食糧、炭・薪の自然エネルギー、そして災害にも強く外敵からの防御などにも優れた、豊かで安全な地域でした。

私たちは、閉塞感のある世界情勢や経済、都市部における大災害への不安感などに直面していて、今一度人間本来の幸せや豊かさについて考えさせられているところではないでしょうか。私自身は、こうした状況をも踏まえながら、山村社会の未来を展望するに当たって、かつての豊かな山村社会の精神を受け継ぎ、時代に即して再生することを考えています。そのためにもまずは、長年受け継がれてきた「ぶどう山椒」を中心に、地域に根差した産物や文化を組み合わせ、都市部との連携をも図りながら、豊かで安定した山村社会の再生を目指しています。

(かんじゃ山椒園 永岡 冬樹)
2017年『life』290号


  1. < 永岡さん夫妻(右側が冬樹さん)
  2. < 山椒の分別作業
  3. < かんじゃ山椒園 手摘み臼挽き粉山椒手摘みしたぶどう山椒の種を取り除き、
    皮の部分だけを臼挽きで粉にしました。
  4. < かんじゃ山椒園 完熟臼挽き赤山椒完熟したぶどう山椒の種を取り除き、粉砕しました。
    青い山椒とは違った風味が楽しめます。

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