ひでじビール醸造所は1996年、宮崎県北部、延岡市に位置する行縢山(むかばきやま)の麓に設立されました。設立したのは、「ひでじーさん」と呼び慕われていた創業者の故・西田英次氏に由来しています。ところがその後、「ひでじーさん」より事業を受け継ぎ、ビール事業に力を注いできた西田英敏氏が2009年に急逝。赤字部門であったビール事業は事業閉鎖の危機に立たされました。
「延岡の地元産業の一つとして、なんとかビール事業を残したい」。当時のビール事業責任者であった永野時彦(現・ひでじビール代表)は、ただその熱い想いだけで事業存続のために奔走します。融資の相談に行った地元銀行では門前払いの日々。それでも粘り強く交渉を続けた結果、何とか開業資金の融資を取り付け、2010年7月に現在の宮崎ひでじビール株式会社として独立することができました。
ところが、ここでまた新たな試練がひでじビールを襲います。独立した同じ年に宮崎県の畜産業で「口蹄疫」が発生。さらに翌年には県西部の新燃岳が噴火と鶏インフルエンザ。県内の一次産業は壊滅的なダメージを受け、観光業も甚大な被害を受けました。これら立て続けに訪れた絶望的な試練。そんな私たちを救ってくれたのは、県外の取引先や新たに取り扱いを始めてくださった飲食店などの多くのお客さまでした。ギリギリの経営状況でしたが、何とか事業を存続することができたのです。
独立時の地元の皆さまからの応援、そしてその後の口蹄疫や鶏インフルエンザで地域の一次産業が深刻なダメージを受けるのを目の当たりにする中で、私たちは「地域に貢献できる商品づくりができないか?」という想いを抱くようになりました。そこから生まれたのが「宮崎農援プロジェクト」です。それは「宮崎の農畜海産物を積極利用した商品を企画、開発、ブランド化することによって、県内一次産業の活性化を目指す」というものです。そして、このプロジェクトから生まれた県特産物を利用したさまざまな商品は、多くの皆さまから反響をいただき、私たちを支える一つの柱となりました。
そして現在、「宮崎農援プロジェクト」は最終章を迎えようとしています。それは、私たちが長年夢見てきた、ビールの原材料である、麦芽、ホップ、水、酵母、その全てを県内から調達した「オール宮崎産ビール」の開発です。そのために大麦やホップの栽培・麦芽加工技術などの開発、酵母の自家培養…等々、これまでに前例の無い困難な課題に毎日取り組んでいます。
「どんな困難な局面でも、必ず解決する方法はある」。私たちは独立時に培ったあきらめない精神で、これからも皆さまを笑顔にできる商品づくりを目指していきます。
(宮崎ひでじビール 梶川 悟史)
2017年『life』400号
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