「3年経っても駄目だったらやめるぞ。借金してまでする気はないからな」と夫に言われて、夫婦で始めたジャム屋です。
営業マンだった夫が、15年前、網膜色素変性症という目の難病だということがわかりました。「将来失明するかも」と言われショックでした。夜、夫の寝顔を眺めながら涙したこともありました。でもそこは元来楽天的なので、「すぐに失明するわけでもないだろうし、考えてもしょうがないし、何とかなるさ」と開き直りました。しかし、そのうち車の運転も危なくなり、1人で行動するのにも不自由になってきて、30年余り勤めた会社も辞めざるを得なくなりました。3人の子どもはまだ学生。末っ子の長男は小学生でした。このままでは子どもの教育にもよくないと、目が不自由でもできる仕事を探しました。そんな時、目に良いからと植えたブルーベリーの実が実っていたのです。
食べてみると、甘酸っぱくておいしいのです。ジャムは時々作っていたので、ジャムにして売ろうと考えました。こうしてHappyFarmはうぶ声を上げたのです。その頃のジャムといえばペクチンをったものが主流。しかし、アレルギーのある方、特に子どもさんに食べてもらいたくて、ペクチンを使わない果実感たっぷりのジャムを作っていくことに決めました。もう一つジャム屋を始めたのには、夫婦でできる仕事ということもあります。ジャムは作れなくても、圃場の手入れなど、夫にしかできないことがたくさんありました。(私は農業をしたことがないので鍬も鎌も扱えません)
最初は、地元スーパーの直販コーナーに置いていただきましたが、15本出して1週間に3本しか売れません。これでは3年どころか1年持つかどうか…と自信を失いかけましたが、その後徐々に売れるようになりました。次に作ったのが、いちじくジャムです。これもたまたま植わっていたいちじくの実がなり、それを食べた夫が「いちじくがおいしいからジャムもおいしいはず」と言ったのが始まりです。食べたこともないのに?と思いましたが、作ってみると私たちとしては大ヒット(夫はドヤ顔でした)。それから、ゆず、いちご、かぼすと種類も増えてきました。
7年前からは息子夫婦も加わりました。それまで畑の世話は目が不自由な夫が主にしていたのですが、やはり疲れ切って体調を崩してしまうことがあり、そんな様子を見て息子が帰ってきてくれたのです。今では、畑は夫と息子、ジャムづくりは息子夫婦が主に担当しており、当初「3年で駄目だったら…」と思って始めたジャム屋は、おがげさまで14年経ちました。これからも、「自分の子や孫に安心して食べさせられるジャムを」をコンセプトに、安心・安全なおいしいジャムを作っていきます。
( HappyFarm 髙橋 紀代美)
Copyright © 関西よつ葉連絡会 2005 All Rights Reserved.