四国三郎吉野川の上流域の山間部、高知県大豊町には、昔から伝わる伝統茶「碁石茶」があります。緑茶とは味も形も異なり、甘酸っぱい香り、独特の風味、そしてタンニンが少ないことが特徴の日本で唯一の「後醗酵茶」です。永い間守り受け継がれてきた原料とこだわりの伝統製法で作られています。
まず収穫した茶葉(元は自生だった山茶2種とヤブキタ)を蒸し桶に詰め、大釜で数時間蒸した後、筵むしろを敷いた土間に1週間ほど広げてカビ付けを行って醗酵させ、次に、桶へ漬け込むこと数週間。この「カビ付け(好気発酵)」と「漬け込み(嫌気発酵/ 乳酸発酵)」の二段階の発酵を経て、身体に良いとされる植物性乳酸菌がたっぷり生まれ、独特な酸味の元となります。また、農薬を使った茶葉ではカビ付けがうまくいかないため、茶葉はすべて無農薬で栽培されています。
醗酵が終わり固まった茶葉は、3〜4cmに切り分けて筵の上に広げられ、完全に乾燥するまで天日で干すこと数日間。その間、のどかな山あいには、あたかも“碁石”を敷き詰めたような光景が広がります。こうして約60日間もの手間と時間をかけてできあがる碁石茶は、発酵茶における特有のコレステロール低下作用と緑茶に代表される不発酵茶の強い抗酸化活性を併せ持つ、非常に特異な発酵茶です。
碁石茶のルーツは遠く中国の雲南省周辺と考えられています。その製法がいつ、四国の山中に伝わったのかは、はっきりしていませんが、江戸時代には土佐藩を代表する主要生産物の一つであったことが当時の記録にも残っています。しかしそれは地元向けというより、山地で貴重な「塩」と交換する特産品として、険しい四国山地を越えた瀬戸内地方を中心に出荷されていました。瀬戸内では、古くから飲用だけではなく、「茶粥」の材料として碁石茶は欠かせないものだったのです。
明治になっても碁石茶はこの地の特産品であり続け、1920年代には農家数は数百軒を数えました。しかし戦後、林業衰退とともに、過疎化や高齢化の問題、食生活の欧風化も相まって、生産農家は減り続け、1970年代には わずか1軒となってしまいました。たった1軒残ったその農家とは、現在の碁石茶協同組合・初代代表理事の小笠原章富さん宅。昔から「胃腸に良い」と言われてきた碁石茶の茶粥の愛好者から切望され、「量を減らしても作り続けんといかん」と考えた小笠原さん一家が、細々と技術を伝承してきました。
現在は、七代目の功治さんが協同組合代表理事を引き継ぎ、「先人の思いを引き継ぎ、絶やさぬよう後世へと伝えていく」ために、伝統の製法と醗酵に不可欠なカビを小笠原家から他の農家へ伝承することで、生産農家も増え、少しずつ生産量を増やしています。
(高生連 植木栄治)
2022年『Life』280号
6代目の小笠原章富さん
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