かつて、開拓に貢献した落花生。
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![]() 落花生の野ボッチ/木枯らしに2、3度あて、 乾燥してから脱穀します。北千葉の晩秋の風物詩。 |
落花生といえば千葉。それは、落花生の国内生産の7割以上を千葉県が占めていること、それと北千葉の関東ロームの火山灰土壌がおいしい落花生を作るのに適しているためです。
この落花生、明治の早い頃から北千葉の開墾に貢献してきた“恩人”ともいうべき作物です。明治になるまで、北千葉の台地(北総台地)は旧幕府の天領であり、広大な野馬の放牧地でした。冬は筑波颪(おろし)が吹きつけ、春は黄塵を舞い上げる強い西風で、夏の日よけとなる高木が育たない荒涼とした草地だったようです。明治政府はここを主として維新で秩禄処分を受け困窮していた下級武士たち貧民の救済のため開墾地とし、経験ある農家の次三男をつけて開拓にあたらせました。
![]() 生産者の皆さん |
落花生は肥料不足の荒地でも生育し、夏には葉が茂り畑を緑で覆い雑草の生育を抑えるので、荒地の開墾に最適の作物(パイオニア・プラントという)だったようです。第2次大戦後も北総地域は、戦争罹災者や復員軍人など多くの新規就農を受け入れます。この戦後開拓民たちも、開墾地にはまず落花生と麦を蒔いたということです。余談ですが、50年前、成田空港の位置決定に当たり、当時の友納武人千葉県知事が佐藤栄作首相に、「あそこなら、麦と落花生しか作らない開拓農民ばかりだから金さえ積めばどうにでもなる」と三里塚地区を進言したことが、農民たちの怒りに火をつけたのでした。
![]() 落花生の花 |
ところが、高度経済成長期に首都圏への野菜供給地として野菜・スイカなどの栽培が広まり、逆に落花生は粗放栽培作物だとして業者に安く買いたたかれたこともあり、作付は減少しました。
ようやく近年、落花生づくりが地味を安定させること、脱穀後の草体残渣が良い堆肥材料になることなどから、真面目に有機農業に取り組む農家が輪作の中に位置づけるようになってきました。当社も無農薬・無化学肥料栽培を評価し、再生産可能な価格で買い取るようにしています。そんなこともあり、徐々に栽培農家、作付面積が増えてきています。
その落花生、ここ数年は不作が続き、皆さんに思うようにお届けすることができませんでした。今年は8月下旬まで作柄順調、豊作型と予想して喜んでいたのもつかの間、8月末から9月いっぱい長雨続きで地中の落花生粒が水に浸る期間が長かったため、落ち実、腐れが多く「平年作以下だよ」と農家から知らせが入ってきています。少し開始が遅れますがご了承ください。
(三里塚物産 平野靖識(きよのり))
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貴重な国内産の無農薬落花生 ![]() |
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40年を経た三里塚有機農業の広がりを
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去る10月3日、大型低気圧の去った秋晴れの下、北千葉台地の一角佐倉市の畑で一つの結婚式があった。カップルは就農歴5年の若いお百姓、丹上徹さんと亜衣さん。4年前に隣接する山武市の有機農家で研修中に知り合い、3年前から佐倉市小竹に畑を借りて「結び合い農園」を始めた。私たち三里塚物産の落花生生産者でもある。
![]() 丹上徹さんと亜衣さんの結婚式 |
二人はコスモスとマリーゴールドの花畑の農道を先輩農家の運転するトラクターに乗って登場。山武市の林業家の友人たちが丸太で組み上げたピューパと呼ばれる巨大テントの会場で参加者からの祝福を受けた。お手伝いは、北千葉地域で就農したり研修中の大勢の若い仲間たち、三里塚物産からも若手が進行役を頼まれた。
北総と呼ばれる北千葉一帯は、長い三里塚(成田空港)闘争の時期に多くの外来の若者を受け入れた。そうした背景もあって一般に排他的といわれる他地域よりは新規就農者を受け入れる素地があるように思う。また、「土を守る」という三里塚農民の意識は、早くから脱農薬、脱化学肥料の有機農業に向かった。40年を経てこの三里塚有機農業が北総一帯に種となって広がり、今収穫の時期を迎えているとも見える。
ところで、その成田空港では3本目の滑走路とやらが取りざたされている。現行年間30万回の離発着枠では他空港との競争に勝てないから、50万回を目指して3本目を作るのだという。50年前、羽田空港が満杯になるからといって成田空港が計画され建設強行された。今、そのナリタが存続をかけて拡張するという倒錯に陥っている。残念なのは、半世紀前の成田周辺には農村としての地域力がみなぎっていて大反対運動がおこったのだが、今はその力が枯渇して、ややもすると誘致の方へ傾くことだ。
![]() 試し掘りの落花生で 成熟具合を確認 |
こうした北総地域の現状の中で、ベテランの、中堅の、そして丹上さんたちのような若手の有機農家の存在は大切だ。三里塚物産もこのネットワークの中で空港ではなく農業で未来を切り拓いていけるように役割を果たしたいと思う。
丹上さんの「結び合い農園」はことのほか地域との結び合いを大切にしている。東京・船橋・成田のベッドタウンとしての人口17万人の佐倉は直売形式の営農に適しているという確信もあるのだろう。1つを除いて5つの野菜の直納先は車で10〜20分以内のところだ。スポーツクラブ、魚屋、パン屋など、いずれも飛び込みで開拓したという。その1つの例外というのが三里塚物産向けの落花生。この落花生栽培について、「安定していて助かる。増やしたいけど畑の回転から言って10アールが限度」と言う。
これを読まれたよつ葉の皆さんのところにも、まもなく「結び合い農園」の落花生が一部だが届きます。
(三里塚物産 平野靖識(きよのり))
“土を守る”三里塚の無農薬落花生 |
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三里塚物産(千葉県成田市) 未来に繋ぐ「土を守る闘い」 |
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私たち三里塚物産は、地元では親しみをこめて「三里塚のらっきょう工場」と呼ばれています。成田空港の平行滑走路の南端、成田市東峰(とうほう)という地区で、空港の拡張に反対を続ける農家とともに、二分の間隔で襲う飛行機の騒音の中、生産活動を続けています。
皆さんは「成田三里塚闘争」をご存知でしょうか?
これは1966年に政府閣議決定によって開始された一方的な農地の強制収用と空港建設に対する反対運動です。闘争まっただ中の1970年代半ば、空港反対派の若手農家が中心となり、安全な農産物の生産を目指して無農薬有機農業への挑戦がスタート。産直とも組み合わせて自立する農業を目指しました。
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三里塚物産はそうした中で、有機農産物の加工と販売を目指して1978年に設立。現在も伝統的な製法を基本とした、添加物を使用しない製品作りを続けています。設立から35年が過ぎた今では、地域に有機農業も根付き新規就農の多くの若者たちも集まることから『有機農業のメッカ』と呼ばれもします。
私たちは新規就農者には加工原料である落花生やらっきょうの生産を提案し、収穫後は本人の希望に応じて一部〜全量の買い取りを実施。また年に数回、品質や生産量の向上と地域に溶け込む事を目的に、ベテラン有機農家を交えて勉強会を兼ねた交流会を開催し、直接的、間接的な就農生活のサポートも行っています。
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当初から長い闘いを見越してきた反対運動ですが、もう半世紀近くになります。若手の有機農業者がこの地域の農地を引き継いで耕すようになった今、「土を守る闘い」(三里塚闘争)の理念は、原発やTPPの問題もふくめ、「農を守る闘い」として若い人に受け継がれているように思います。
(三里塚物産 平野 靖識)